« 2005年10月 | main | 2006年07月 »

2006年06月04日

水道管の中のオルフェウス vol.2

orphe2-01.jpg


10月24日 鳥海 純 対 高野 旭(三迫)の8回戦。

試合前のワタナベジム控室は、必要以上ににピリピリした空気を感じさせない。
私は、17度後楽園のリングに上がったが、一度たりともリラックスする余裕が持てなかった。
鳥海さんは、程よい緊張感を発しながらも肩の力は抜いている。
場数を踏んだボクサーの持つ程よい緊張感。

控室のムードから、少しだけ話しをしても良いと感じた私は、次の作品で写真映画のようなものを創りたい旨を少しだけ話してみた。

興味を持ってくれたようだったが、試合前という事もあり、詳しくは話さなかった。
試合は、攻めの姿勢を崩さない鳥海さんが粘り強い高野を6RTKOにしとめた。

その後、日にちは失念してしまったのだが、後楽園ホールに来ていた鳥海さんと、控室の廊下で再会した時『水道管の中のオルフェウス』について話をした。
乗り気になってくれているのが、声の調子でわかった。
連絡先を交換し、後日連絡する事を約束した。

主役『男』が決まった。

男の次に重要な役は『女』。
いくら考えてみても、私の周りにタンゴを踊れる女性はいない。
シナリオを何度も読み返すうちに、それまでとは違ったイメージの『女』像が浮かんできた。

下北沢の隣駅、東北沢でダンス教室を主宰しているフラメンコダンサーで、森真奈美さん。
彼女に出演してもらえないだろうか。

真奈美さんとはキネマ倶楽部での呑み友達だった。
キネマ倶楽部でお会いした時に、次の作品の話をし、一度踊りを見学させてほしいと頼んでみた。

「イメージと違ったら他の人を探してくれていいからね。」

嫌みなく了解してくれ、後日見学させてもらえることになった。

哀切をつま弾くギターの旋律にのり、シューズがフロアーを踏みつける力強い振動、激しくそしてリズミカルに叩かれる手拍子、広くはないスタジオの中は生々しい息づかいに満ちていた。
初めて目の当たりにするフラメンコのエネルギーに圧倒された。

きっかけが『ラストタンゴ イン パリ』だったことで、タンゴにとらわれていたが、タンゴに固執する必要など全くなかった事に気づかされた。
タンゴの作品を創りたいわけではない。踊りは、この作品全体の中で、表現の一手段でしかなく、その根底に流れる感覚が通ずるものであれば、日本舞踊でもベリーダンスでもフラメンコでもよかったのである。

ギャラは支払えないが、素晴らしい作品を創りたいと、この作品の趣旨を話し、出演の依頼をした。
「初めての事で戸惑いはあるが・・・」との事であったが、快諾してくれた。

主要な出演者の2人が決まり、キネマ倶楽部で顔合わせをした。
鳥海さんも真奈美さんも、気さくな人柄で、すぐに打ちとけたようだ。
まだ撮影を始めた訳でもないのに、不思議な安堵感が私を包んだ。

<つづく>

orphe2-2.jpg

2006年06月03日

水道管の中のオルフェウス vol.1

orufe.jpg

昨秋、ビデオでベルナルド・ベルトリッチ監督作品「ラストタンゴ イン パリ」を観ていた。

最初のシーン、主演のマーロン・ブランドが頭を抱え絶叫する。そして、橋の上を歩き出す。
どこか曇ったパリの空気の中、マリア・シュナイダーを追い越して行く。
その映像のあまりの美しさに息をのんだ。
何度も観ている映画だ。
これまでも当たり前のように観ていたシーンで何故このような衝撃を受けたのだろうか。

私の好きな写真家、ジャンルー・シーフやウィリー・ロニスの写したパリのイメージが重なり、この映画が動画ではなく静止画だったらどうなるのだろうか・・・。
 
 

写真で映画を創れないだろうか・・・。

   
 
 
 
「出来るかもしれない」

ふとそんな思いが湧き起こり、いてもたってもいられなくなり、ビデオを停止して下北沢へと自転車を走らせた。


 下北沢にキネマ倶楽部というバーがある。
マスターは映画・小説・演劇、様々なモノに独自の鋭い視点を持っている男で、私が信頼する人間の一人でもある。
マスターについ先ほどの出来事を話した。


最初はピンとこないようだった。
 

橋は何かと何かを渡すものだ。
橋の下には水があり、水は生命の故郷でもあり流れてゆくもの。
そこに男と女が登場する。
情熱的な響きの中に退廃的な香りを感じさせるタンゴ。

私は少々興奮気味に、その映画に登場する橋・男・女等のディテールを話す。

「なんとかなるかもしれないね。」

話をするうちに、マスターがこの話に興味を持ち始めている事がわかった。

これまで撮ってきた私の写真を見てくれていて、映画・写真・小説等、私の好みを知っているこの人にシナリオを書いてもらったらどうだろうか。
 
 

「マスターがシナリオ書いてよ。」
 


お願いすると、了解してくれ、新たな作品創りがスタートする運びとなった。

ベルトリッチ作品の映像の美しさには以前から魅了されていたのだが、調べてみると、「ラストタンゴ イン パリ」のカメラマンは、「ラストエンペラー」「暗殺のオペラ」「暗殺の森」「シェルタリング・スカイ」等の映画で神がかり的な映像美を撮ったヴィットリオ・ストラーロ という人だった。
フランシス・フォード・コッポラ監督の作品「地獄の黙示録」もストラーロが撮ったものだ。

写真で映画を・・・。
私が考えるような事は、先人がとうに実現していた。
クリス・マルケル監督の「ラ・ジュテ」。
ブルース・ウィルス主演でヒットした「12モンキーズ」の原案でもある映画だ。
ストーリーは淡々と進んでいくのだが「12モンキーズ」よりもずっとポエジーで、強烈なイメージを残す作品だ。
「ラ・ジュテ」を観て、これから始まる自分の試みに確かな感触をつかんだ。

その後も頻繁にマスターと話し合いを重ね、最初の夜から一月半ほどでシナリオが完成した。
 

 
ドキドキしながらシナリオの書かれたノートを開いた。
 
 

元ボクサーA。
ボクシングで頂点を極めたAがリングを下りた後にまとわりつく虚無感。
そんなAが不思議な女と出会う。
その得体の知れない女のめくるめく踊りに、Aの中に眠っていた何かが目覚めていく・・・。

わかるようでわからない。
シナリオから浮かんできたイメージを写し撮るしかない。
ストーリーを展開させていくだけの物語は創りたくなかった私の求めるシナリオがそこにあった。
一つ一つの静止画を重ねて行く事で何かのイメージを感じさせるような作品、でも、観る人が入りやすいようなストーリーのような流れはある。

舞台は渋谷だ。
渋谷に決めた大きな理由は、東口駅前、明治通りのあたりには、昭和初期まで渋谷川が流れていた。
裏原宿のほうから流れていたようで、現在は遊歩道の様な感じになっている。
東口を出て右手の歩道橋を渡ると東横線の脇に枯れた川が今も姿を残す。
この作品では『水』に意味を持たせたかった。
勿論『水』以外にも、渋谷に決めた理由はあり、ロケハンをしてみて撮影に条件が良さそうだったからだ。
 
 
 

主要な登場人物は『男A』と『女』の2人。
 

『A』役を誰にお願いするか、シナリオを読んで真っ先に頭に浮かんだボクサーがいた。
彼の写真は以前から撮らせてもらっていて、試合前に放つ空気感がたまらなく絵になる男だと感じていた。
昨年東洋太平洋タイトルを失ったが、現在も現役である彼が『A』として私の向けるレンズの前にいる。
その事を考えるだけで、一人押し殺せぬ興奮に包まれる。
 
 
 

鳥海純以外の『A』を考える事が出来なかった。


<つづく>

tori02.jpg

2006年06月01日

Heart Beat Photograph Vol.12

0606.jpg

Trackback

Archive

Profile

山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
>>プロフィール詳細

Copyright

© Hiroaki Yamaguchi All Rights Reserved