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2006年07月31日

Heart Beat Photograph Vol.17

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2006年07月30日

Heart Beat Photograph Vol.16

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2006年07月28日

サイト開設にあたり

 「心打瞬撮 Heart Beat Photograph」を訪れて下さり、ありがとうございます。

以前から自分のサイトを持ちたいと頭の片隅にはありながら、その術を身につけるには至りませんでした。

それが今年の(2006年)6月に、私の中でどうしても自分のサイトが持ちたい気持ちが沸き起こり、友人のウェブデザイナー横田茂さんに相談させて頂きましたところ、快く引き受けて下さり念願の開設に至った次第です。
 
 
モノクロ写真が引き立つように、白ベースでシンプルにしてくださいました。
もともと、『Heart Beat Photograph』だったページタイトルに『心打瞬撮』と漢字で添える案も横田さんのアイディアです。

簡単に更新出来るようなブログ形式にして下さったので、私でも更新ができるようになっておりますし、まめにとはいかないまでも、ボチボチ更新していきますので、たまに覗いて頂けたら幸いです。
 

 URLのfoto finitoは、ホームページ右上でも解説させて頂きましたが、私がボクサーだった頃からのアイドル メキシコの伝説的チャンピオン リカルド・ロペスのニックネーム『エル フィニート』(素晴らしい)から拝借しました。

WBCミニマム級王座を22度防衛し、その間にはWBA・WBO王座も統一。後にIBFライトフライ級王座も獲得し、2階級制覇を達成。正確無比なパンチ・完璧なディフェンス、そのボクシングスタイルはまさしく芸術でした。


 
写真は、現役ボクサーの頃、ロペスに会いたくてメキシコに武者修行に行った時のものです。
蒼くさい自分が恥ずかしく写りますが、この頃はふさふさしていた髪が、ロペスの生え際に追いついてきたかと思うと、それすら光栄なことと感じてしまいます。 笑


横田さん、本当にありがとう!


下北沢で祝杯あげましょう!!
 

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Heart Beat Photograph Vol.15

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水道管の中のオルフェウス vol.3

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お金の悩みは常につきまとう。
始まりが、私の思いつきであるこの自主制作作品に、スポンサーなどいるわけもなく、極力低予算で作らなければ、自分の懐が寒くなるだけである。

この作品を作る上で大体どの位の予算が必要なのか・・・。

まずは、撮影機材を何にするかを考えた。
プリントで見せるのであれば、ためらいなく中判カメラにモノクロフィルムと考えるのだが、一枚一枚をプリントで見せる訳ではないこの作品には、編集の事も考えるとデジタルカメラがよいのでは。その為にも高画素で35mmのカメラと同じ感覚で撮れるカメラが必要と感じ、慣れ親しんできたニコンのカメラではなく、キヤノンの5Dとレンズ一式を購入した。
後に仕事で使用出来るにしても、機材を購入する時点で大きな出費を余儀なくされたのはたしかだった。
あとは、完成した作品を発表するスペースの使用料・セリフや音楽のレコーディング・お手伝いして下さる方々への交通費・・・。
それ以外にどんな費用がかかるのか想像出来なかったし、相場も把握出来なかった。
自分の生活を破綻させてしまぬよう予算を決め、大きな出費は抑えるよう心がけ作るしかない。

種々の戸惑いを抱えながら、クランクインを迎えた。
第一回目の撮影は、2006年1月15日、五反田にあるワタナベボクシングジムをお借りしてロケでは撮れないカットを撮ることになった。
ワタナベジムは鳥海さんの所属するジムで、撮影用のスペースをお借り出来ないかと申し入れると、渡辺均会長からは、「鳥海のこと、どんどんアピールしてやって。」と、快くお許しを頂いた。

黒のバックペーパーを設営し、鳥海さんと真奈美さんを撮影した。
撮影になり集中力が高まると、余計な事が頭から消え去り汗が噴き出してくる。
ファインダーを覗き、自分が求めていたイメージがそこにあると、たまらぬ興奮に包まれる。この瞬間があるから、写真は病み付きになる。
この二人に出演してもらえて、本当によかった。

撮影の合間に、マスターがシナリオにあるイメージを2人の出演者に伝え、演出をしてくれる。マスターと私とは頻繁に話し合い、十分イメージの確認がとれているから、マスターに任せてしまえる事が心強い。
勿論、私にない引き出しを沢山持っているマスターの味付けがなければ、深みは出てこないだろう。

出演者に不足はない、シナリオ・演出と、頼れるパートナーもいる。

素晴らしい作品が出来る。
撮影初日で、大きな確信を持った。

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2006年07月27日

Heart Beat Photograph Vol.14

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2006年07月25日

私と写真 Vol.1

99年2月、私はラストファイトを闘い、使い古したバンデージを、そっとゴミ箱へ捨てた。

16の頃から、私にとっての全てであったボクサーとしての自分に終止符をうち、それから2ヵ月もすると、渋谷にある写真専門学校に通いはじめていた。

 
学校に通いはじめると、露出という言葉の意味もわからぬくせに、所属していたジムや後楽園ホールに通い、つい数カ月前まで一緒に汗を流していた仲間達を撮りはじめていた。今となってみれば、そうして撮り続けてきた事が、現在、ボクシングと私を繋ぐかけ橋となっている。
昼はプロラボでアルバイトをし、学校へは夜間で通った。
ほとんどのクラスメート達は、25になろうとしていた私よりも若く、蒼臭く映った。
ボクサーとして、一つの人生を全うしたと自認していた私の奢りもあったのだろうが、教室ではしゃぐ彼らに、自分の向かうべき道を進もうという強い意志を持った者や、持て余したエネルギーのはけ口を見つけだそうといった者は、ほとんど見つけることが出来なかった。
ただ、授業で教わる事が新鮮であった事と、素敵な先生達に出会えた事が救いだった。
 

写真家 鈴木邦弘先生の授業が一番の楽しみであり、苦しみでもあった。
ソマリア内戦で流出した難民達が居住するジブチキャンプ、アフリカの先住民族ピグミー族。
硬派なドキュメンタリーを撮る鈴木先生の大きな体から響かせる言葉には、圧倒的な説得力があった。
 

「音楽を聞かないミュージシャンはいない、本を読まない小説家もいない、写真家だって色々な写真集をみるんだ。その一冊の写真集が、後でヒントになって助けてくれるんだ。」
 

850円の時給で働き、機材やフィルムを買えば貯えていたファイトマネーも底をついていたが、最低でもひと月に1冊は神保町で写真集を買う事を自分に誓い、それは今も続いている。
そんな中で先生に見せて頂いたセバスチャン・サルガドの『WORKERS』には、息が詰まる程の衝撃に打ちのめされた。
悲惨な状況下におかれる人達をも美しい絵として写真にしてしまうサルガドに危うさすらおぼえた。
美しく、力のある写真が収められていた。

サルガド体験が契機となり、モノクロ写真に魅了された。
 

鈴木先生の授業で出された課題は、『形』『色』『空間』等にはじまり、2年になると、『光景』『都市の風景』『それぞれの原風景』『窓』『ストリート』『In transit』『時間』『犬の視線』『生きられた家』『家族』『動物園』『私』『人々』『東京』『マイノリティー』のテーマの中から1つ選び、撮った写真を先生と話しながら展開を考えていくというものだった。どのテーマも解釈次第で無限に被写体はあり、方法もある。日々、写真の事で頭がいっぱいだった。
 
当初は自分の「恋」を写し、『私』として表現したいと思っていたのだが、諸事情によりかなわぬ思いとなってしまった。
 
 
 
 
『私』・・・
 
 


汗臭いグローブに顔をそっと押し当て、何者かに祈るように緊張感を高める姿。

リングへ向かう通路のひんやりとした空気に身震いしている姿。

もつれる足で必死にファイティングポーズをとる姿。

ダウンした相手を見下ろし雄叫びをあげる姿。

医務室でまぶたの傷を縫われながら涙を流す姿・・・。

 
 
 
 

これまで撮ってきたボクサー達の姿は、まさしく『私』だったのだ。

 
 
 


                     <つづく>

Heart Beat Photograph Vol.13

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2006年07月01日

Profile

foto finito(フォト フィニート)
写心家 山口裕朗(やまぐち ひろあき)


1974年 東京都出身
 

1999年
プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退。
引退後、日本写真芸術専門学校で写真を学ぶ。
 

2001年
同校卒業後、タイでムエタイ戦士の撮影を始める。
 

2002年
「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。女子レスリングの浜口京子を撮り始める。

 
2003年
ボクシングを撮る7人の写真家が後楽園プリズムホールで展開した写真展「拳闘人間」に出展。
 
『拳闘人間』
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/other/column/200307/0718sn_04.html 


2004年
ボクサーを撮った写真展「瞬輝(まばたき)」をstudio all in oneで開催。  

 
2005年
ボクシング引退後、撮り続けてきたかつての対戦相手、キンジ天野と田中光吉の写真を、写真展「放熱の破片(ほうねつのかけら)」( Gallery Imago)で発表。
 
『放熱の破片(ほうねつのかけら)』 
http://www.tic-box.com/doc-yamaguchi/info-0508.html
 

2007年
空間デザイン、絵画、版画、アニメーション、造形、写真と、多分野に渡る8人の作家による「水と人」という主題を軸にしたグループ展、「Under The Ground, Above The Water.  水 の 記 憶 人 の 記 憶 」に出展。

「Under The Ground, Above The Water.  水 の 記 憶 人 の 記 憶 」
http://www.ftftftf.com/aa_tenji10ugaw.html
 


ライフワークとしてボクシングを撮影。
 

ボクシングを取材するライターさん達の作るwebサイト『Talk is cheap』サイト内「新田渉世 戦士と語る」に2000年から参加。
 
Talk is cheap→http://www.tic-box.com/


WORKS
『Sports Graphic Number』『Flash』『アサヒカメラ』『週刊文春』『サンデー毎日』 『ガテン』 『日経ビジネス』『ボクシングワールド』『ボクシングマガジン』『』『るるぶ』『ぴあ』『散歩の達人』etc・・・
http://foto-finito.com/cat13/etc/

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Profile

山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
>>プロフィール詳細

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