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2006年12月31日

diary12月31日

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   仕事 
 

この 心打瞬撮 Heart Beat Photographを作って下さった、webデザイナーの横田 茂さんのブログを覗いてみました。
 
それを読み、自分の仕事について振り返ってみました。
 
 
SHIGERU YOKOTA Afterhours
http://www.rocketshiptomos.com/blog/
 
 

 僕は24歳で写真学校に入学しました。
学校に通っている間、現像所で1年間アルバイトをし、経済的な事情で、窓ガラス清掃の仕事に転職しました。ボクサーだった5年間、やっていた仕事でした。
その会社で横田茂さんと出会いました。

26歳で卒業し、レンタルスタジオに就職しましたが、10日間でドロップアウトしました。

そして、再び窓ガラス清掃の仕事に戻り、アルバイトをしながら、自分の作品ファイルを持って、出版社等に営業にまわりました。

写真の道に進んだ時の年齢が、スタートをきるにしては若い訳ではなかったので、自分の中での目標を、『30歳までに写真を生業にする』としていました。
 
そして、2004年の秋に窓ガラス清掃の会社を退社しました。2年前のことです。
少しずつ写真の仕事を頂けるようになってきましたが、生活を成立させるにはとても不安定な状態でした。
そんな状態で退社を決断したのは、僕が退社する1ヶ月前に横田さんが退社されたことが大きなきっかけだったと思います。
 
30歳と3ヶ月でした。
 

不安だらけの航海でしたが、周囲の皆様のおかげとしか言いようのない程の人間関係に恵まれ、写真を生業とする事が出来るようになりました。
 
 
 
 写真行為は、楽しみもあれば苦しみもあります。
そんな様々な葛藤が僕を魅了してくれます。
 
 
2006年は、Photo cinema『水道管の中のオルフェウス』の制作にもたついてしまいましたが、素敵な一年に出来ました。
 
 
今夏に開設してから、このサイトをご覧頂いた皆様、お世話になった皆様、そして、横田さん、本当にありがとうございました。
 
よいお年をお迎え下さい。
 
 
 
                                   山口裕朗
 

diary12月31日

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『大日如来像』を撮影しました。
 

 
今日は、以前日記で書いた男がやってきました。 

僕のかつての対戦相手 河田喜代治くんは、現在は仏像を修復する仕事についています。

diary10月9日
http://foto-finito.com/2006/10/diary109.html#more  
 


ご親戚の家の仏壇に置く『大日如来像』を彫ったので、撮影してほしいということでした。
普段、滋賀県に住んでいる彼は、千葉にある奥さんのご実家で年越しをするということで上京してきました。
 
 20cmに満たないような小さな仏像を、木の箱から愛しそうに取り出し、なにやらがさがさといじり始めました。
すると、それまでとは表情が一変し、恐ろしいほどの集中力で取り組みだしたんですね。
普段、下らない冗談を言い合っていると、河田くんがこんなすごい仏像を作り出すということが信じれませんが、目の前でこの表情を見ると納得させられます。

この仏像は、世界遺産の屋久杉で出来ているそうで、ほのかに芳香が漂ってきました。 
 
仏さんが座っている台座は、蓮の葉で被われています。
『蓮弁(れんべん)』というその葉っぱは、一枚一枚が独立していて、台座に差し込んであるのですが、その仕事の細かさには驚きます。
 
信仰の対象になる物ですから、仏師達の細やかな『仕事』の上に成り立つ造形の美しさがなければいけないのでしょう。
僕は仏様に信仰はありませんが、美しい彫刻として魅了されてしまいます。
  

撮影が終わり、駅まで車で送りました。
次に会えるのはいつになるかわかりませんが、再会を約束し、固く握手をして別れました。
帰りの車中で一人になってから、昔に殴り合った男と、こうして友人としてつき合っている不思議な縁が胸にしみてきました。
 
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diary12月31日

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昨夜はtalk is cheapの忘年会がありました。 
 
talk is cheap
http://www.tic-box.com/
 

 talk is cheapは、ライターの方々が仕事ではなく好きな事を書く場所として1999年に誕生しました。 
僕が写真学校に通っていた2000年春に、先輩の新田渉世さんが『戦士と語る』を連載すると言う事で、写真を撮らないかとお誘い下さったのがtalk is cheapとのお付き合いのはじまりでした。
 

写真学校生だった僕にすれば、色々な撮り方を実際の取材で試してみる実習の場でもあったのですね。
写真を生業と出来るようになった今でも、その頃の経験が大きく生きていると思います。
 
 
『戦士と語る』は6年以上続いていて、その間に取材を通して沢山のボクシング人達と出会えた事が大きな収穫でもあります。 
 
  

 以前参加されていたtalk is cheap OBの方も交えて、新宿ゴールデン街で朝まで呑みました。
 
 

途中から記憶が曖昧です・・・。
 
 

酔った勢いで、後で赤面してしまうような粗相をしていなければ良いのですが・・・。
  
 
 
きっとしています・・・
 
 
 
すこしだけ記憶の片隅に・・・
  
 
 
  

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 写真は、白玉好きな 白玉ライター 丸山 幸一さんです。
どーです、この幸せそうな顔。 
 
 
 
 
 
と言う訳で、来年も、talk is cheapをよろしくお願い致します。 
 
 

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http://www.tic-box.com/


2006年12月30日

diary12月30日

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2006年12月29日

放熱の破片 番外編 鮎川圭祐

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対戦相手の死を乗り越える事が出来る人間はどれだけいるのだろうか・・・。 

 

talk is cheap「戦士と語る」で、元日本スーパーバンタム級(55.3kg)2位の鮎川圭祐さんを取材させて頂きました。
 

戦士と語る12月号 
http://www.tic-box.com/doc-nitta/nitta-index.html
 
 「戦士と語る」本文にもありますが、鮎川さんは営業マンとしてご多忙の日々を送られています。
いつもでしたら、新田さんと2人で取材に出かけるのですが、今回は鮎川さんのご都合で取材日が何度か変更し、締め切りまでに3人のスケジュールが合う日がなく、撮影には後日僕が一人で伺いました。
 
京王線の駅で、2週間前の夜に待ち合わせしました。
鮎川さんと、言葉を交わすのはほとんど初めてでしたが、彼の現役の頃の写真を何枚か撮らせて頂いたことがあります。

その日、後楽園には知人の写真を撮りに行っていました。
その控室に、試合を終えたばかりの鮎川さんが入ってきて、ベンチに腰掛けタオルで顔を覆いうなだれたんです。
ノックアウトで敗れた直後だったんですね。
 
写真を撮るという行為は、ひどく暴力的なことだと自覚しているので、コミュニュケーションがとれていない人にレンズは向けないようにしているのですが、その姿からにじみ出るボクシング臭に思わずレンズを向けてしまいました。
 
その後で、彼の顔を撮りたくなり、声をかけて撮らせて頂きました。
このポートレートは、写真展や雑誌で何度か使用させてもらっていたのですが、彼の所属していたジムの方からは了解を頂いていたのですが、本人と話をすることがありませんでした。
 

  
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 ふっくらとしてしていましたが、改札を出てくる鮎川さんのお顔はすぐにわかりました。
色々と話したいと思っていたので、駅前の立ち呑み屋にお誘いし、ジョッキを傾けました。
 
「戦士と語る」本文にもありますように、鮎川さんは勝ちも負けもKOでの決着が多い激闘ファイターでした。
そして、対戦相手が、試合後に亡くなってしまうという事故にあってしまうんですね。
 

僕のボクサー時代のアルバイト先に、僕とは違うジムのA級ボクサーがいました。
人間的にも穏やかで優しくて、僕の大好きな先輩でした。
その人が、試合後に脳内出血で倒れ、意識を無くしてしまいました。
9年間ベッドの上で生命は維持し続けましたが、昨年 ご逝去されました。
家族は彼の世話をする為に大変なご苦労をされたと思います。

身近な人が事故に遭うのを見て、ダラダラとボクシングを続けることだけはしまいと心に誓い、人を殴る恐ろしさも引き受けなければリングには立てないのだと、明確に感じました。
 
 
ボクシングは死ぬ危険もあるのだと頭ではわかっていますが、そうした事故に直面してしまった鮎川さんの苦しみは、どれほどのものだったのだろうか・・・。
  
 
 

 先月、お子さんが誕生されたそうで、その話になると口元を緩め、携帯電話でお子さんの写真を見せてくれました。

ボクサーとしては、背負ってしまったものを押しのけることは出来なかったのかもしれませんが、そんな『正常』な感覚を持つ鮎川さんが、家庭を育むことに専心されるお姿をみて、なにかホッとするものを感じました。
 
 
 
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2006年12月26日

diary12月25日

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何かがはじけるように、自分の中でひらめく時があります。
 
 

僕の場合は、誰かと話をしている時が多いんですね。

今日は、そんなことがありました。
 

2006年12月23日

浜口京子 vol.1

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   「浜口京子選手を撮りたい」 
 

僕の中にそんな気持ちが芽生えたのは、2002年の春だった。 
 

 
 2001年、僕は、写真学校を卒業し、勤めたスタジオにどうしようもない居心地の悪さを感じ10日間で退社し途方にくれていた。

写真学校の頃に勤めていた会社で再びアルバイトを始め、これからの事を考え、どうにもなりゆかない自分に歯噛みし、悶々とした毎日を送っていた。
 
 その頃の浜口京子さんは、世界選手権を3連覇したあと、2000年は3位、2001年は4位と低迷していた。
 
そんな選手がどうやって這い上がってくるのかを撮りたかった。
 
 
その這い上がる姿に、当時の自分を重ね合わせたかったのだ。
 

その知名度からも、京子さんの取材は困難かと思ったが、自分の状況と、前述した理由を汚い字で長々と並べ、浜口さんにFAXで送った。
 
 自分で営業して知ってもらわなければ先には進めないと腹をくくり、生まれて初めて持ち込み営業に行った出版社で「2ページやりましょう」と拾ってもらい、私の写真家としてのデビューとなった「サンデー毎日」も浜口さんに送った。
 

 それからしばらくして、電話が鳴った。
 
 
 シャキシャキとした気持ちのよい語り口、下町のおかみさんと言う言葉がピッタリと当てはまるその声色、浜口さんの奥さんからの電話だった。

僕の気持ちを電話で伝えると、快く撮影のお許しを頂けた。

 
考えてみれば、どこの馬の骨ともわからない写真家が、突然撮らせてくれという、そんな図々しい申し出を受け入れて下さった浜口家の皆様の懐の深さには、感謝の言葉も無い。


 初めて浅草の浜口ジムで京子さんとお会いした時の彼女の礼儀正しさと、気配りにいたく感激したことは今でも生々しく脳裏に焼き付いている。
 
 

 そうして浜口家の皆様とのおつき合いが始まり、僕の中で、大きな車輪が動き始めた気がした。 
 
 
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浜口京子のページ
http://www.saturn.dti.ne.jp/~lewis/kyoko/kyoko1.htm
 

2006年12月21日

ムエタイジム Vol.17

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2006年12月19日

diary12月18日

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       夜の闇に 溶けましょう
 
 
 

ムエタイジム Vol.16

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2006年12月18日

放熱の破片  vol.6

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ボクシング、全日本新人王決定戦がありました。
 
 

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新人王戦は、優勝すれば日本ランキング10位にランキングされ、新人達にとっては登竜門です。
 
僕のボクサー時代のジムの先輩、新田渉世さんは、現在 川崎市向ケ丘遊園で新田ジムを主宰していて、先月、ジムオープンから4年目にして初めて東日本新人王を誕生させました。その黒田雅之くんがライトフライ級で西日本新人王と対戦し、1ラウンドKO勝利で全日本新人王を獲得と同時に、大会の最優秀選手賞に輝きました。
 
 
黒田君の左フックは、なんとも魅力的な煌めきを感じずにはいられないパンチです。
なにか、"ゾクッ"っとするようなタイミングで切れのあるパンチを打ち抜くんですね。
7勝(6KO)1敗と、ライトフライ級(48.9kg)という軽量級にしては破格のKO率を残しています。

新田ジムのチーフトレーナーを務めるのは孫 創基(ソン チャンギ)さんです。
”さん”なんてつけてしまいましたが、孫くんとよばせてもらっています。
 孫くんも僕も新田さんの後輩で、階級も一緒・生まれた年も一緒だった孫くんとは、一番スパーリングをしたかもしれません。地球上で一番多く殴り合った男が孫くんだと思います。
 
その孫くんが、昨年ポソリと、ジムオープンから3年経ってもA級ボクサーを育てることが出来ていない己の無力さを嘆くようなことを口にしていたことを思い出します。
 
今日の黒田君の勝利で、少しでも、孫くんの胸中にもやもやしていたものが吹き飛んだかもしれません。
 
 

黒田君、新田さん、孫くん、そして、ジム関係者の皆様、本当におめでとう!!!
 


 

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新田ボクシングジム  http://www.nittagym.com/
 
 

diary12月17日

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2006年12月17日

diary12月17日

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2006年12月15日

diary12月15日

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                    ハムを食む














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ムエタイジム ヨドシンのこと

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 talk is cheapで、池田高雄さんが書いた『悲しき墓標』を読み、涙が溢れてしまいました。
 
ヨドシンが亡くなってから、もう4年になるのか・・・。
 

talk is cheap 池田高雄 拳跡集
http://www.tic-box.com/doc-ikeda2/ik-0612.html


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 5年前、池田高雄さんに会いにタイに行った僕は、チュワタナジムの合宿所で選手と寝食を共にしながら、ムエタイ戦士達の日常を撮影させてもらっていたのです。

 池田さんのように濃密な付き合いをさせてもらった訳ではありませんが、ヨドシンが優しい男であり、父であったことは、記憶しています。

 マンファーレッグという、ジムのボスザル的存在のボクサーが試合をした夜、ささやかな祝勝会のような感じで、ヨドシン達と一緒に屋台でお酒を呑みました。
その後、ヨドシンとトレーナーのジョムと、3人でカラオケに行き、タイウィスキーを飲み過ぎて、僕だけ酔い潰れてしまいました。
そんな僕をジムまでタクシーで送ってくれ、最後まで介抱してくれたのがヨドシンでした。
 
 

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その後も、ヨドシンが日本に試合をしに来る度に、写真を撮らせてもらっていました。
 
隣には、いつも兄のジャッキーが一緒でした。
 
試合後は、ホテルで一緒に食事をしたりしました。

 

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短い時間しか付き合えませんでしたが、僕もヨドシンの優しい笑顔は、決して忘れません。
 

  

ご冥福を心から祈ります・・・。



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2006年12月14日

Tokyo 14.December.2006

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Shimokitazawa
東京邂逅 Encounter with Tokyo Back Number

ムエタイジム Vol.15

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diary12月14日

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    今の季節の夕暮れは 切ない気持ちになります
 
 
 

diary12月13日

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   じぶんのペースで いきましょう
 
 
 

2006年12月12日

放熱の破片 番外編2006年12月12日

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 昨夜の出来事・・・
 
 

”ノックアウトセンセーション”真鍋圭太くんの試合がありました。
 
相手は大阪の選手だったのですが、たくさんののファンが観客席から声援をおくっていました。
 
1ラウンド目、様子を見ている圭太くん。
 
あまり手は出しません。
 
そして、2ラウンドに入り、左フックのカウンター一発で試合を終わらせました。 
 
そのパンチが当たる時、まるでグローブが顎に吸い込まれていくような錯覚すらおぼえました。
 
 
 
 後楽園を後にしてから、恵比寿で写真仲間と小規模ながら忘年会があり、そちらに合流するつもりだったのですが、あのノックアウトの余韻を噛み締めたくって、一人で下北沢に向かいました。
 
今夜も歩いて向かったのですが、途中でタイミング良くバスに乗れたので、新代田駅までバスでの移動になりました。
 
僕を含めて4人の乗客を乗せてバスは走り出します。
 
街のネオン・社内の降車ブザーの赤・蛍光灯のグリーン・降車ステップの黄・いろいろな色がいり混じり、不思議な空間に感じました。

 
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 新代田駅でバスを降り、下北沢に向かって歩き出しました。

 
 

その薄暗い路地で驚きの再会がありました。
 
 
 
 
一人の男の人とすれ違う時に、『あっ』と思ったのです。
 
ボクシングジムの先輩、吉田さんと言う方でした。
 
 
能力的に、プロテストに合格するだけのものは持っていたのですが、吉田さんはプロにはならず、黙々とサンドバックを叩いていました。
 
そんな吉田さんも、プロテストを受験できる年齢制限の30歳を目前にして、何かが弾けたのか、プロテストに向けて猛烈な練習を始めたのです。
 
テストの日にちも決まっていました。
 
その矢先に、スパーリングで網膜剥離になってしまったのです。
 
入院している吉田さんのお見舞いに、仲間のボクサーと行きました。
 
片方の目で薄暗い病室の天井を見つめる日々、吉田さんは何を思ったのでしょうか。
 
思いを焦がした後楽園ホールのライトを浴びることなく、リングとの別れを迎えた吉田さんの心中は察するに余りあるものでした。

 
その後、吉田さんと連絡をとれる者は、周りにいませんでした。
 
 
薄暗い路地で再会した吉田さんは、元気そうでした。

「あんまりボクシングの頃の人達と、会いたくないんだよね・・・。」
 
そう漏らしましたが、必至にサンドバッグを叩く姿、鼻血を流しながら左フックを繰り出す姿、僕たちは、吉田さんがどんなボクサーだったのか、ちゃんと見てきて知っています。
 

胸を張って、

 
「俺は 昔ボクシングをやっていた」

 
そう言って欲しい・・・。


 
 
 
 

 
「折角再会できたんですから、写真撮らせて下さいよ。」
 

遠慮する吉田さんに、レンズの前に立ってもらい、シャッターボタンを押しました。 
このサイトでの掲載の可否を聞くと、快く了解してくれました。
 
電話番号を交換し、再会を約束して下北沢への歩みを進めました。
 
 
 

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 吉田さんとの再会を誰かに話したくて、ジムの後輩で 現在はイラストレーターをしている つぼい ひろき に電話しました。
つぼいは、最近下北沢の近くに引越ししたので、すぐに出てきました。
 
 
 

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お互いフリーランスで活動している彼とは、よくお酒を呑みに行きます。
いつもならつぼいが先に酔い潰れてお開きになるケースが多いのですが、連日の撮影疲れが溜まっていたのか、僕の目蓋が先に重くなってしまい、5時くらいに解散しました。
 

 

新聞屋さんのバイクとすれ違いながら家路につく、そんな下北沢の朝は清々しいです。

 

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イラストレーターつぼいひろき「ちぼいの絵」
http://www.chiboi.com/
 

2006年12月11日

ムエタイジム Vol.14

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Tokyo 10.December.2006

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Nakano
東京邂逅 Encounter with Tokyo Back Number

2006年12月09日

diary12月8日

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     きみが ほほえみで ふりむくまでは 
 
    じぶんが じゆうなこどもだって おもっていた
  
 

2006年12月08日

diary12月8日

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  一人のボクサーの写真をプリントしました。
 
 

 僕がボクシングをしていた時のジムの先輩、新田渉世さんが、川崎市向ケ丘遊園でボクシングジムを主宰していらっしゃいます。 
 

新田ジム所属の竹内俊介くんが、眼疾の為に引退することになりました。
 
  
 僕が撮った彼の試合の写真を額に入れて竹内くんにプレゼントしたいのだけど、と、新田さんからご相談を受け、その写真をプリントしました。
 
 
5勝(4KO)3敗という戦績を残してリングを去ることになった彼の胸は、どんな思いで満ちているのだろうか・・・。 
 
 
 
 
僕は、竹内君とスパーリングをしたことがあります。
それは、2005年の冬でした。
 
 

 2004年夏、ちょうど30歳になった頃、リングへの未練も、30歳という年齢を区切りに、すっかり無くなっているだろう、そろそろ体を動かしたいな、と感じだしたんですね。 

ちょうどそんなタイミングに、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオン 飯田覚士さんが『ボックスφ』というジムをオープンされ、通うようになりました。
ボックスφは、プロボクサーを育てるためのジムではなく、会員さんたちが楽しく体を動かすジムです。

 3ヶ月も通うようになると、かつての感覚を少しずつ思い出してきます。
相手を前にして、殴り合うスリルと興奮を味わいたい気持ちは、抑えることが出来ないほど膨らんでしまいました。 

あわよくば、後楽園のリングに再び立てないか、という、酔狂な思いを正当化する為に、色々な口実を考えてみたのですが、24歳で引退を決意した時の想いを覆す考えは浮かぶ訳がありません。
 
スパーリングで現役選手と手を合わせれば、乱れた日々の暮らしが染み付いてしまったこの肉体の堕落ぶりを自覚することが出来るだろうと思い、先輩である新田さんにお願いをして、竹内君とスパーリングをさせてもらえることになったのです。
 
現役ボクサー、しかもハードパンチャーの竹内くんに歯が立つ訳もなく、とにかくスタミナのない己の衰えをひしひしと感じ、向ケ丘遊園からの帰宅の途中、ロングピースを買って、久し振りに煙をのみました。
  
 
 

 今日プリントした写真は、きっと、彼がこの先も大切にしてくれるだろう、そう思ってプリントしました。。
彼への感謝、そしてお疲れさまという気持ち、そんな念のような想いが自分でプリントすることによって写り込むのではないか、そんなふうに思います。
  
  
 


   竹内くん、おつかれさま・・・。
 
 
 
 
 
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diary12月8日

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  コーヒー道は、奥が深そうです・・・

ムエタイジム Vol.13

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diary12月8日

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近頃では、歩く時間が増えています。
 
 

 
 先月中旬から腰痛が悪化してしまい、以前からお世話になっている整骨院の先生に治療してもらっていました。

ようやく回復して来たので、これからは、歩くくらいの軽い運動を増やそうと決めたのですね。
 
下北沢にお酒を飲みに行く時も、歩いて行き、帰りも歩いて帰ってきます。
 
交通費が節約出来て健康的です。 2.5kg痩せました。
 
太ももがピチピチだったブーツカットも入るようになり、嬉しい限りです。
 

そして、歩きながら、街をスナップして歩く楽しみも見つけました。
 
 
歩くスピードだと、色々な景色が見えてきます。 
 
 
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Tokyo 7.December.2006

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Korakuen Hall Suidobashi
東京邂逅 Encounter with Tokyo Back Number

2006年12月07日

diary12月7日

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   思いやり
 
 
 

 
 
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   思いやりですね

 
 
 

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   やっぱり思いやりです 
 
 

 Afterhours  shigeru yokota weblog
 http://www.rocketshiptomos.com/blog/

ムエタイジム Vol.12

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diary12月7日

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  僕は、生まれも育ちも東京都です。

 
 故郷に帰ってリセットという感覚がありません。
 

 一度、『帰省する』と言う言葉を使ってみたいです。
 

2006年12月06日

diary12月6日

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   バンコクへ・・・ 
  
 
                         キュイ〜ン
 
 
 

 

diary12月6日

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 気持ちのよい青空です。
 
 

 午前中に撮影がなければ、大抵昼まで寝ているのですが、今日は午前中に目が覚めました。
どうした訳か、夜の方が作業に集中できるのですね。
 

起きると、まず掃除機をかけ、窓を開け部屋の空気を入れ替えてから、ヤカンを火にかけます。
そして、ガリガリと豆を挽きコーヒーを入れます。

 このサイトをつくってくれた、ウェブデザイナーの横田 茂さんのお宅でご馳走になったコーヒーがとても美味しくて、自分でも美味しいコーヒーを入れることができないかと、最近チャレンジをはじめました。

そんな簡単に美味しいコーヒーを入れることは出来ませんが、試行錯誤を繰り返し、少しずつ美味しいコーヒーが入れれるようになってきました。

コーヒー豆をきらしてしまっていて、1週間くらい前から起床後のガリガリの儀式がありませんでした。
今日は、コーヒー豆を買って来て、久し振りに自分で入れたコーヒーを飲みました。
 
 
ほろ苦いコーヒーの味と、不思議な落ち着きが胸に沁みました。
 

僕の部屋から見える空はちっぽけですが、気持ちのよい青空です。
 


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Afterhours shigeru yokota weblog

http://www.rocketshiptomos.com/blog/

ムエタイジム Vol.11

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ムエタイジム Vol.10

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diary12月5日

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diary12月5日

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2006年12月05日

diary12月5日

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2006年12月04日

ムエタイジム Vol.9

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diary12月3日

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2006年12月03日

diary12月3日

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2006年12月02日

Tokyo 6.December.2006

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Shinagawa
東京邂逅 Encounter with Tokyo Back Number

2006年12月01日

diary12月1日

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   散歩道

駅前の並木道 あの娘の好きな黄昏
悲しいことは 何も無かったような笑顔で
僕の肩に頭をのせて帰る 散歩道
 
 
 
 
 

 杉並区役所の横を通る中杉通りは、見事なけやきの並木道です。
 
  
 

 

 高校生の頃、阿佐ヶ谷でお好み焼きデリバリーのアルバイトをしていました。

 
その頃、浜田省吾さんの音楽が好きで、あの並木道を三輪の原付で通る度に『散歩道』という曲を口ずさんでいました。
歌詞の、「駅前の並木道」という言葉から、単純に阿佐ヶ谷駅を連想していただけなのですけど、メロディーもしっくりときたんですね。
僕の肩に頭をのせる娘はいませんでしたが、思い出深い曲です。

今でも、中杉通りを通ると、『散歩道』が頭に浮かんできます。
 

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diary12月1日

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 怒るということ・・・


僕の中には『怒る』という感情があります。

でも、怒っている自分が嫌いです。

怒りの後には、必ずむなしさがつきまといます。
 
 

以前、怒りの感情について考えた事があります。
 
どうして自分は怒っているのだろうかと・・・。
 
 
一つは、自分の自尊心を守るため。
 

ちっぽけなものです。
 

自分のプライドは、自分の中で誇りにしておけばいいのであって、馬鹿にする人がいても、ほおっておけばいいのですから。

  
 

一つは、怒りの対象に、自分の嫌な所をみつけてしまった時・・・。
  
 

その2つが怒りの元ではないかと思いました。
 
 
 
 

最近では、声を荒げて激高するなんてことは、まずありません。

しかし、顔にはすぐ出てしまうようです。
 

そして、冷たい態度をとり、人の心を鋭くえぐる・・・。
 

何故自分が不快な気分になったのかは、少し時間が経てばわかります。
 
僕の正が人の正である訳はなく・・・。

 
自我をコントロール出来るようになりたいです・・・。



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山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
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