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2007年06月29日

放熱の破片  vol.12

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ボクサー 土山直純くんが、後楽園ホールのリングに立ちました。
 

 土山君は先天的な発育不全で、幼少の頃に右足首から下をなくし義足になりました。

高校生の頃に出会ったボクシングに魅了され、プロを志しますが、日本ボクシングコミッションの医事規則で義足ではプロテストを受ける事が出来ない事を知ります。

戦いの場を求め、フィリピンでプロボクサーとしてリングに上がり、2戦2勝(1KO)の成績を収めています。

フィリピンのリングに上がる事も、平坦な道ではなかったのですが、彼は自分の力で切り拓いてきたんですね。

彼の試合をフィリピンに撮りに行き、土山直純というボクサーを『実話ナックルズ6月号』で4ページ掲載して頂きました。

http://foto-finito.com/cat13/etc/
 
  

土山君が今日の昼に電話をくれました。

「突然決まったんですけど、今日の夜 後楽園ホールでスパーリングするんですよ。」
 
少し弾んだ声から、その昂りが伝わってきました。
 
夜に取材が一つあったのですが、遅刻させてもらい、後楽園に行きました。
 
スパーリングの相手は、昨年度のB-tightライト級覇者で、日本スーパーライト級5位の小野寺洋介山選手。
 
格上相手のスパーリングでしたが、
 

「義足である事のどこに問題があるのだ!」
 

と、会場の人達に感じてもらうには十分なスパーリングだったと思います。
 
 
上がる事が出来ないかもしれなかった後楽園ホールのリングに舞う彼の姿を見て、胸が熱くなりました。
  
 

この先まだまだ困難はあるだろうけど、今日踏みしめた一歩は大きな一歩だったね。
 
これからも応援しているよ!! 


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Boxer 土山直純の天真爛漫BLOG
http://www.tenshin-ranman.com/tsuchiyamablog/

2007年06月27日

ムエタイジム Vol.25

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2007年06月24日

diary6月24日

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僕のラストファイトの相手で、今では友人の田中 光吉くんがお店を開きます。
 

     居酒屋『くらんど』
 
五反田駅東口より徒歩約2分

 
看板メニューは、光吉くんの故郷 熊本の老舗ホルモン焼き屋『くらんど』の『元祖くらんどホルモン』です。
 

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昨夜は、知人だけ集めての開店で、ライター船橋夫妻と一緒におじゃましました。
 
お店は人でいっぱいで、活気に溢れていて、お酒も肴もうまい!
 
光吉くんがロスアンジェルスにトレーニングに行っていた時に、スパーリングをしたというWBCライト級2位 ウルバノ・アンティロン選手も駆けつけてくれていました。
 

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6月27日・7月6日・9日・10日・11日と、僕もお手伝いする予定なので、お近くにお越しの際は、是非いらっしゃって下さい。
  
 

居酒屋 くらんど
http://9rando.jp/
 
場所
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F37%2F22.573&lon=139%2F43%2F43.133&layer=0&sc=2&ac=13109&mode=map&type=static&pointer=on&size=s
 
 
光吉君のこと
http://foto-finito.com/2006/11/diary1116.html#more
http://foto-finito.com/2007/04/diary48.html#more
 

2007年06月23日

フィリピン日誌 6月18日-23日

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 18・19日はマニラに所用がありました。
 

 排気ガスもすごいし、何かにつけて交渉しなくてはいけないのも、次第にうんざりしてきます。

触れ合えば親しみやすい人達も、お金が絡むと生臭い人間くささを前面に出す人が少なくない大都会は、ショッピングや夜遊びに全く興味のない僕にすれば、長く滞在したい所ではないんですね。


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 今回のフィリピン行の目的は完了したので、20日からマニラ近郊のリゾート地 ミンドロ島 プエルト・ガレラという所に行く事にしました。
 

マニラからバスで3時間ほど南に走り、バタンガス ピアー港まで行きます。そこから目的地のホワイトビーチまでのボートに乗り込み1時間も揺られると到着です。


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ちょうど夕暮れ時に到着し、早速海に入りました。
 
 

水面にポカリと浮かび、赤く染まった空を呆然と眺めていると、肺を黒く染めるタバコのヤニのように僕の深淵にこびりついている日頃の由無し事を、青い水が侵食してくれるような気持ちになります。
  


 
ずーっとこうして、どこかに流れていきたいな・・・。  
 
 
 

 
残念ながら、ゆっくりと滞在する時間はなく、1泊でマニラに戻りました。

 

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フィリピンに行くと言うと、女性を買いにいくような発想をする方がいるようです。
今回もフィリピン行に関して、その類の話を冗談ぽくされることが数度ありました。
女性を買いにいく渡航もいいのかもしれませんが、そんなことよりも、フィリピンには、 
  

「青い空・色々な表情を持つ美しい海・爽やかな風、豊かな自然があって、人々の微笑みがある!」
 
 
僕は、そう言いたい。
 


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diary6月22日

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帰国しました。
 
写真はまたあした・・・。

2007年06月17日

お知らせ

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明日、6月18日(月)から6月22日(金)まで、フィリピンに出かけます。
 
 
山口にご用の方は、携帯電話かパソコンe-mail lopez22@foto-finito.com までご連絡下さい。
 
 
 
                            山口裕朗
 

2007年06月15日

diary6月14日

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 腰痛とお友達になったのは、かれこれ10年ほど前の事です。
 

 当時ボクサーでした。
試合を2週間後に控えた僕の腰に、突如
  

『ピキッ』
 
 
と、電流が走りました。 
ストレッチもマッサージもせずに、体を追い込んでいたのですから、今考えるとおバカさんでした。
 
それからというもの、腰に違和感があるのが当たり前になっています。
 

 しばらくは、大きな痛みもなく過ごしていたのですが、数年前の夜、眠っていると猛烈に痛む腰に目が覚めました。
どんな体勢をとっても痛い。それも、尋常でない痛さなんですね。
 
泣きそうになりながら、タクシーで病院にたどり着くと、何時間か待たされ、やっと順番が回って来たかと思うとレントゲンに回され、また待たされ、お医者さんが発した言葉は、
 

「骨には異常ないみたいだから、来週の木曜日にMRI撮ってみましょう。痛み止め出しておきますね。」

 
というものでした。
 

来週の木曜までどうしろというのだ!と憤りつつ、当時草加で整骨院の院長をしていらした、ボクシングの先輩 池田高雄さんに電話をすると、すぐに来いと言ってくれたんです。


冷や汗をたらしながら草加に辿り着き、骨盤矯正なる秘技を施されると、先ほどまでの苦痛が嘘のように、なんとか歩けるようになってしまったんです。
 

それから、1週間ほど通い続け、治療を施してもらいました。
その時に面倒を見てくれていたのが、写真の斉藤先生なんです。

 
 
 重いカメラバッグを持ち歩かなければいけない職業柄、腰痛は写真撮りの宿命かもしれません。
毎日、朝晩のストレッチはかかせないのですが、それでも、腰の様子が怪しくなると、大変な事になる前に斉藤先生の所で治療してもらっています。
いちいち初めから説明する必要がないし、信頼しているので安心して治療してもらえるんです。
 
 

この斉藤先生、治療中のトークがたまらなくいかしてます。

ファイティングポーズもいかしてます。
 

2007年06月13日

diary6月12日

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                   どんな もんじゃ
 
 

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2007年06月10日

diary6月9日

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2007年06月07日

Heart Beat Photograph Vol.30

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2007年06月06日

diary6月5日

 
   ボクシングが巡り会わせてくれた素敵な仲間達、神戸編   
 

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 2週間ほど前に関西に行ってきました。
撮影での出張だったのですが、依頼主はボクサー時代のジムメート アオキ ヒロシという元A級ボクサーです。
 

この男との出会いはもう10年も昔になります。
 


当時、ジムメートとはプライベートでの交遊をほとんど持っていませんでした。
試合前になると、特にピリピリした空気を発し、周りに誰も近寄らせまいとしていたんです。
後輩達は気を遣って誰も話しかけてきませんでした。

 
実に嫌な奴ですね〜。
今でも後輩達と呑みにいくと、その当時の事をからかわれます。
 
そんな中で、アオキヒロシだけは、ピリピリ空気の僕に馴れ馴れしく話しかけてくるんですね。

図々しい奴ですね〜。
 
階級も同じだったので、ある日スパーリングをする事になったんですね。
スピードはあるけど、怖さを感じなかったので、少しプレッシャーを強めてみました。 
 
スパーリングは、課題をテストするものと捉えていて、試合とは別物と考えていたので、模擬試合のような感じでガチガチの殴り合いはしなかったんですけど、この時は
 

『図々しい奴は嫌いだもんね、倒してやっかんな。』 
 
 
と、むきになって倒してみました。
 
そのスパーリングからは不思議と距離が縮まり、家が近所だった事もあり、試合前も試合後も一緒に過ごす時間が増えていきました。
 

僕の引退後も、彼は細く長く戦い続け、気がつけば8回戦のリングにあがるようになっていました。 
秀でた身体能力のおかげで、そこそこの試合準備でも勝ってきたヒロシの最大の弱点は精神的な線の細さだったと思います。
しかし、A級に上がってくるボクサーは、C級B級と勝ち抜いて来ていて、精神的に弱い奴は少なくなる訳で、試合に備えて自分を追い込めないボクサーは、苦しい時に自分を支える気持ちの柱が無くなってしまうと思うんですね。
 

そんなヒロシが、昨年10月にしっかりと体を作り上げてラストファイトを戦ったんです。
リングに上がると、筋肉に乏しかった細い体にはしっかりと筋肉がつき、脂肪もちゃんと削ぎ落とされていました。


『ヒロシは本気だな。』

 
アスリートは体で多くを語れるものだと思っています。
この時のヒロシの体は、厳しいトレーニングを耐えて来たことを感じさせるに十分な体でした。 


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相手は、アマチュア2冠からプロに転向した選手でした。 
スピードやロングレンジでの戦いでは歯が立たないだろうと、本来のスタイルを捨て、試合開始から接近戦に持ち込もうとしたのですが、やはりそう簡単に入れてくれません。
そして、ほんの瞬きの間に相手のパンチはヒロシの急所を捕らえ、1RでKOされてしまいました。
結果は負けですが、初めてボクサーとしてアオキヒロシの姿を見れただけで、僕はよかったんです。
勿論プロですから勝つ事がすべてですが、アオキヒロシは弱い自分に克ったんじゃないか、そんな風に感じます。

 
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社交的なヒロシは、ジムの後輩達をまとめて海にバーベキューに行ったりするのが好きで、そこに僕も呼んでくれていたおかげで、僕と時代が重なる事のなかった後輩達と、今も繋がる事が出来ています。  

ラストファイトからしばらくして、実家の手伝いをすると神戸に帰って行きました。 
そのお店の撮影を依頼してくれたんです。
お店が終わってから呑みに行き、美味しい串揚げもご馳走になり、実に楽しい滞在でした。
 

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神戸をあとにした僕は、電車に揺られて京都に向かいました。
あの男と会う為に・・・



              ボクシングが巡り会わせてくれた素敵な仲間達、滋賀編へつづく

2007年06月04日

diary6月4日

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 何年も前にOくんからプレゼントしてもらったこのライターを、今も大切にしています。
 
 当時、窓ふきのアルバイトをしていました。
その日は東京郊外の現場での作業だったのですが、昼に会社から電話があり、Oくんのいる現場に行ってほしいと言われたんです。
受話器の向こうの事務の女の子は、いつも冷静な子で、この時もいつもの様子だったのですが、その声のトーンにいつもとは微妙に違う差異を感じ、胸騒ぎを覚えつつOくんの現場に向かいました。
 

そこに到着すると、屋上からロープが垂れ下がり、風に揺られていました。
カラーコーンのバリケードもそのままになっていて、初めて何がおこったのかを確認しました。

 
病院に行くと、社長さんがすでに来ていて、命には別状がないと聞かされました。

チューブがいっぱいついた体で寝息を立てる彼を見て、一気に緊張から解き放たれ、廊下の隅でこっそりと涙しました。
 
 
 彼が退院してから、「色々とお世話になったから」と、プレゼントしてくれたのがこのライターなんです。
 
 
その後、お互いに窓ふきを辞めてからも僕の写真展に来てくれたりしているOくんは、今では元気に社会復帰しているようです。
 
 

最近、酔っぱらってこのライターを紛失してしまいました。
 
2件目にいった飲み屋さんに行くと、紛失から一週間もたっていたのですが、箱の奥からゴソゴソと取り出してくれ、ホッと胸を撫で下ろし、ふとOくんの事を思い出しました。
 

2007年06月02日

diary6月1日

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Profile

山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
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