世界フライ級Wタイトルマッチ 計量
昨日、計量があり、全選手とも万全のコンディションを思わせる仕上がりで計量をパスしました。
特にWBCのタイトルマッチに出場する内藤さんも清水くんも知人ですから、どちらを応援するという事はないのですが、両雄が激しく、誇り高い戦いを見せてくれる事を楽しみにしています。
今夜ゴングです。
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昨日、計量があり、全選手とも万全のコンディションを思わせる仕上がりで計量をパスしました。
特にWBCのタイトルマッチに出場する内藤さんも清水くんも知人ですから、どちらを応援するという事はないのですが、両雄が激しく、誇り高い戦いを見せてくれる事を楽しみにしています。
今夜ゴングです。
絶妙なタイミングで切り倒すパンチは、いつ見てもしびれます。
生田真敬(ワタナベ)くんが5RTKOで勝利した試合は、久し振りに気持ちのよいノックアウトでした。
生田くんは、120キロあったボクシング好きな肥満児でしたが、自らプロボクサーを志してからはしっかりと減量し、今ではライト級のA級ボクサーです。
以前、実話ナックルズで取材させて頂いたのですが、肥満児時代に自分の肉で窒息死する怖さに痩せることを決意したと言う壮絶な経験の持ち主です。
この夜の生田くんのボクシングは、軽快なフットワークで巧みに自分の距離にしていき、サウスポーの相手にショートの右ストレートを絶妙なタイミングで当て、2度のダウンを奪っての快勝。
実に後味の良い戦いでした。
その前座の試合でセコンドにつく、意外な人を見つけました。
木内信弥さんです。
僕は木内さんと11年前に試合をしています。
判定で勝ったのですが、ジャッジ泣かせのきわどい内容で、どちらの手が上がってもおかしくない試合でした。
僕は、木内さんに勝利し6連勝、意気揚々と日本ランカーに挑んで判定負けし、結果4連敗して引退しました。
最後に勝った相手が木内さんなんです。
木内さんは、僕との試合の後、日本ランカーに勝利してランクインしました。
木内さんはそれ以後も戦い続けていたのですが、2005年1月に有明コロシアムのリングに上がったのを最後に姿を見なくなりました。
しばらくして、風の噂で木内さんが東南アジアで戦い続けているらしいと聞きましたが、真相はつかめないままでした。
昨晩お会いしたのが3年半ぶり、その3年半、タイやシンガポールで戦い続けていたと、本人の口から聞く事が出来ました。
「やっぱりボクシングは麻薬ですよね。」
そう語る木内さんの言葉ははっきりしていて、パンチドランカーのそれではなかった事に安堵の気持ちに包まれました。
6月から所属ジムの小平シシドボクシングジムでトレーナーに就任され、これからは選手育成に情熱を注いでいくそうです。
「今度一杯呑みに行きましょうよ。」
僕がお誘いすると、
「お酒はほとんど飲んだ事が無いから呑めるかあまりわからないですけど、是非。」
ボクシングの魔力に取り憑かれ、全てをボクシングに捧げてきた男ははにかみ笑いで答えました。
Talk is cheap『戦士と語る』で、渡嘉敷ジム会長 渡嘉敷勝男さんを取材させて頂きました。
幼い頃から戦いの中に身を浸してきた誇り高き微笑みの戦士 クマントーンは、試合終了のゴングが鳴り響くまで、勇敢に戦い続けました。
22日、後楽園ホールのメインイベントのリングには、元東洋太平洋バンタム級チャンピオンのクマントーン・チューワッタナと宮 将来(ヨネクラ)が立っていました。
怪我の治療で一年以上のブランクをつくった宮は再起戦、クマントーンは、勝ったり負けたりを繰り返しながら、コンスタントに試合を重ねていました。
リングに立たなければ、収入が断たれる彼らタイ人ボクサーは、ブランクをつくる事は、家族の生活を支える事が出来なくなってしまうかもしれないんです。
2001年、クマントーンのいるチューワッタナジムの合宿所に住み込んで、ムエタイ戦士達の写真を撮っていました。
クマントーンと弟のウェート(現WBCスーパーバンタム級7位)は、いつもニコニコしていて、とても穏やかで優しい男達でした。
ジムに沢山いる選手達の中でも、一際クマントーンの筋肉にはフォトジェニックな輝きを感じ、当サイト内Galleryの『ムエタイジム』でも、クマントーンの写真は度々掲載させて頂いています。
いつもニコニコとしているクマントーンですが、リングに上がると表情を変えず、不思議なオーラを身にまといます。
なんというのか、動じない男を感じるんです。
適当な頃合いでリングに手をついてしまう外国人選手が少なくない中、クマントーンは戦士の誇りを胸に、目の前にある戦いから逃げない。
この夜もいつものようにパンチをうまくかわしながら、相手の打ち終わりにパンチを返すボクシングをします。
もっと圧力を強めて相手を下がらせれば、流れは完全にクマントーンのモノになったかもしれませんが、前に出る宮選手がクマントーンを下がらせている感じに見え、ポイントの取り方がもったいないように感じました。
試合終了のゴングが鳴り、宮選手の手が上がりました。
タイの選手達は、試合が終わると、しばらくの間バンコクを離れ家族の待つ家へと帰り、ファイトマネーを家族に渡してくるんです。
今頃クマントーンも家族のもとで、穏やかな時間を過ごしている事と思います。
今年35歳になるクマントーンは、いつまで戦い続けるのだろうか・・・。
Yamanote line
先日の日記ですが、唐突に『サーモマグとの旅立ち』という写真と言葉だけ残しても、ご覧頂いた方にはさっぱり訳がわからなかったと思うのでちゃんと説明させて頂きます。
サーモマグをデザインされた秋田道夫さんは、プロダクトデザインの世界でご活躍されている方で、数々の洗礼されたデザインの製品を世に送り出しています。
以前、秋田さんとAfterhoursでお会いした時に、ご自身のデザインされた『80mm』という湯のみのお話を聞かせてい頂いたんです。
直径が80mmありとても安定していて倒れにくく、茶渋を取りやすいように内底は丸くなっています。
そして、二重構造になっているから持っても熱くない。
使う人へのそんな優しさを、デザインのセオリーをつゆ程もわかっていない僕でも「なんかいいなぁ」と感じる『形』にする秋田さんって、素敵な方だなと感じていました。
先週のAfterhours店頭販売に遊びに行き、秋田さんとお話させて頂く時間がありました。
そこで、秋田さんが
とおっしゃったんです。
4月に開催させて頂いた写真展『東京邂逅』で、秋田さんは僕の写真をご覧になってくれていますし、僕の写真に人間くさい臭いが写り込むという事はご了承頂いた上で、僕にお声をおかえ下さったものと考えると、洗礼されたデザインのサーモマグを新宿の雑踏や混沌とした酒場で撮影して泥臭い山口テイストの写真にしてみたいと興味を抑える事が出来なくなってしまいました。
ただ、サーモマグはちょっとポケットに入れて持って行けるサイズではありませんから、ちゃんと考えて取り組まないと撮れない。
経験のない取り組みに、サーモマグでいれたコーヒーをすすりながらあれやこれやと考えていますが、これは、僕にとって新しい所への旅立ちと考えてみる事にしました。
『80mm』
Wedding Musashino
2002年、釜山で開催されたアジア大会を撮影しに行った。
写真学校を卒業して、アルバイトをしながら写真の仕事をつくろうと必死だった当時、どこに買ってもらえるか、何のあても無く海外の世界大会に行くというのは懐が痛んだが、行かなければ写真は撮れない。
ただ、浜口京子さんが這い上がる姿を撮りたい気持ちだけで飛行機に乗った。
その当時の状況から、這い上がろうとする自分の姿を浜口京子さんに重ね合わせながら・・・。
昨年秋に撮影させて頂いた、栃木県の天宮農園が東京国際フォーラムで開催されたフリーマーケットにブースを出していたので、遊びに行きました。
天宮農園で穫れた白加賀梅でつくる、梅酒作りの実演をやったり、なかなか盛況のご様子でした。
ボトルと梅と氷砂糖のセットを買ってきたので、近々、特製梅酒を作ろうと思います。
天宮農園
http://tenguu.jp/
洞爺湖サミットの撮影で、北海道に出張していました。
空港で、飛行機から下りてくる各国首脳を撮影する担当だったため、ずっと新千歳空港にいて、洞爺湖の姿は見る事無く帰京となりました。
今朝、新聞を読んでいると、中西祐介さんの記事が載っていてビックリしました。
中西さんは、スポーツ写真家集団「Aflo Sport(アフロスポーツ)」に所属するカメラマンです。
彼との出会いは、ボクシング会場で彼から声をかけてきてくれた事からはじまりました。
今でも度々試合会場でお会いすると、写真の話を色々と聞かせてもらいます。
ボクサーに向ける中西さんの眼差しは、僕にとってとても共鳴するもので、彼の写し取るボクサーの姿からは、ちゃんとブルースが聞こえてくるんです。
7月7日から18日まで、アフロスポーツの写真展があり、中西さんの作品もそちらでご覧頂けます。
よみうり写真大賞 「スポーツカメラマン 中西祐介さんに聞く」
http://www.yomiuri.co.jp/photogp/grandprix/etc/s20080704_01.htm
アフロスポーツ スポーツ報道写真展 『IMPACT』
http://www.aflosport.com/impact.html
Talk is cheap『拳の行方』中西祐介
http://www.tic-box.com/doc-nakanishi/nakanishi-index.html
『ひと劇場』
三菱UFJ証券クリーン・エネルギー・ファイナンス委員会・委員長 波多野 順治 氏を撮影させて頂きました。