PHOTOGRAPHER
Hiroaki Yamaguchi

BLOG

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ガソリンスタンドの写真なのにカレーのお話。
 京王線笹塚駅近くにある十号通り商店街を、甲州街道から100メートルほど進んだ右手に、昭和の匂いがする市場があり、その一角に、『エムズカレー』というカレー屋さんがあった。
ボクシングジムの仲間、アオキヒロシが連れて行ってくれたのが初めてだった。
ボクシングをしていた頃のことだから、もう二十数年前の事。
10人も入れば満席になるカウンターだけのお店は落ち着いた内装で、流れる音楽もジャクソン・ブラウンであったりキャロル・キングであったり、居心地の良い空間。
カレーをオーダーするとまずサラダが出てくる。
トマトピューレをベースとしたオレンジ色のもったりドレッシングは、口の狭い瓶で供され、なかなか中身が出てこない。
逆さまにした瓶の底を、皆がトントン叩いて小鉢のサラダにかけている。
トントンするよりも小刻みに瓶を振ってみると、すんなりとドレッシングが出てくることに気がつくまで数年を要した。
カレーは、辛口チキンと甘口ポークと中辛ひき肉と野菜、日によって幻のカレーなるメニューも登場し、そのどれもがまろやかな美味しさだった。
カウンターの中で忙しく調理していたマスターは、肌が黒くインド人と言ってもわからない風貌だが、釘宮さんという日本人。
お店の前にスーパーカブが置いてあり、それで通勤しているようだった、
99年にボクシングを引退してからも笹塚近辺に住んでいて、たまにこのお店のカレーを食べに行った。
2005年に初めて写真展をする事になり、そのポストカードをマスターに見せると、入り口の横にまとめて置いてくれた。
口数少なく、決して愛想のいいタイプではないマスターにはそんな優しさがあって、カレーのマイルドさにそれがにじみ出ていた。
お店は徐々に行列が出来る繁盛店になり、スーパーカブはいつの間にか大きなトライアンフになっていた。

ある日の午前1時頃、環七沿いにあるガソリンスタンドで愛車のヴェスパに給油しようとしたら、ばったりトライアンフのマスターと出くわした。
仕込みが終わって帰るところだというので、
「遅くまで大変ですね。」と言うと、
「いやー、いつもはもっと遅くなっちゃうんだけどね。」

この邂逅からしばらくして、お店を訪れると電気が点いていない。
お休みだと思い通り過ぎたが、何だか気になって、mixiのエムズカレーコミュニティをのぞいてみた。
すると、釘宮さんがご逝去されたと書き込みがあった。


先日、下北沢でお酒を飲み、終電車を逃してしまい久しぶりに歩いて帰ることにした。
マスターと最後に会ったガソリンスタンドの前を通る時、あの色黒の顔から控え目にのぞかせる笑顔が思い出され、無性にあのカレーを食べたくなってしまった、と言うお話。