diary11月16日
昨夜、田中光吉くんと食事に行きました。
光吉くんは、僕のラストファイトの相手です。
1999年、僕は彼との試合から2ヶ月もすると、写真の専門学校に通い始めました。
現像所でのアルバイトから帰宅し、学校へ行く準備をしていた夕方でした。突然、電話が鳴りました。
「田中ですけど」
聞き覚えのない声でした。
「あ、田中光吉ですけど・・・」
互いに殴り合った日から5ヶ月、意外な事に彼の声を聞いたのは初めてだったとその時気がつきました。
私との闘いの後、日本ライト級10位にランキングされた彼は、次の試合をKO勝利で飾りました。
カメラの使い方もよくわからないまま、夢中でその試合を撮影した僕は、後日、後楽園ホールで彼が所属していたジムの関係者にプリントした写真を託しました。そのお礼が言いたいと、私の所属していたジムに問い合わせ、わざわざ電話をかけてきてくれたのでした。
僕と同じ歳の彼とは、一緒に食事をする仲になり、その後も彼の試合を撮り続け、昨年はその写真で写真展も開かせてもらいました。
そうして、思いがけず友人として付き合うようになっていきました。
光吉くんは、昨年、日本タイトルマッチを2度戦い、1敗1分でチャンピオンベルトに手が届きませんでした。
満身創痍の体でリングに上がり続けた彼から引退すると聞かされた時は、悔しいような感情も勿論ありましたが、僕の胸を占めていたのは安堵の思いでした。
今でも時々彼の家に招いてもらって、奥さんの手料理をご馳走になっています。
そんな彼から先日電話がかかってきました。
「明後日、池袋で呑もうよ。」
引退後の彼は、飲食のお店を出す為に奔走していて、その話かなと思い、何の準備もせず気楽に池袋に向かいました。
待ち合わせの店に行くと、光吉くんの奥さんと後輩の北嶋くんが3人で座っていました。
男だけで外に呑みに行く事はたまにありますが、奥さんも一緒というのはおそらく初めての事だと思います。
何かおかしいなと思い、尋ねてみると、奥さんの誕生日というではないですか。
あらかじめ誕生日と言うと、僕が気を遣って何か用意をしてくるからと、内緒で誘ってくれたのでした。
普段は亭主関白な彼ですが、根っこにあるこうした優しさが僕は大好きです。
これからも、『人間 田中光吉』を撮り続けていきたいと思っています。