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2007年02月28日

diary 2月27日

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 team BRAFTの撮影をさせて頂きました。
 
22日にフィリピンから帰国し、翌朝から3日連続で撮影が続き、一気に東京の生活に引き戻された気分です。
3連投のトップバッターがteam BRAFTでした。

 team BRAFTは、格闘技エクササイズのプログラムやインストラクターを派遣するというものだそうで、写真真中のイケメンインストラクター 松田明典さんと知人であった事からご依頼を頂き、webサイト用の撮影をさせて頂いたんです。

五反田のスタジオで、南国ボケの抜けきらない頭で撮影に臨んだものですから、朝から異常なハイテンションになり、和やかな空気で撮影出来ました。
 (現場にいらした皆さん、僕はいつだってあんなテンションで生きてるわけではないのです。)
 
被写体の皆さんがとても絵になる方々ばかりで、楽しくスムースに撮影出来ました。

全撮影終了後、お着替えをされた増田久美子さんを仕事とは関係なく、ごくごく個人的に撮らせて頂きました。
普段から人の視線を集めるインストラクターというお仕事をされているという理由だけでなく、レンズを向けるとなにかしっくりとキマル感じがする方でした。

普段、女性を撮影する仕事が多い訳ではないのですが、ふと、女性を撮りたいなと感じ始めているこの頃です。


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2007年02月22日

フィリピン日誌 2月21日

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今日はフィリピン滞在最後の日です。
 
 

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松井さんにプールに連れて行ってもらいました。
庶民が買い物をするショッピングセンターで水着を購入してから、モトレーラーに揺られると、10分もしないうちに到着です。
プールの水は少し濁っていて、きれいとは言い難いものですが、僕たち以外に泳いでいる人のいないプールを独占できて、気持ちがいい!


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詳しくは書きませんが、この松井さんという方は実に魅力的な人物でして、話していてあきません。
のんびりと南国の日差しを浴びながら、水と戯れました。


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夕方に、浅野さんからご連絡を頂き、3人で海辺のレストランで食事をしました。
ほんの短い間でしたが、この2人と過ごす時間は、ずっと以前から知り合いだったかのような錯覚をおこしてしまうほど、自然に過ごせる時間でした。
ミクシィというソーシャル・ネットワーキング サービスで知り合った人たちと、こうした時間を過ごせた事、文明の利器に感謝です。


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この土地で、もう少し過ごしてみたいと心残りもありますが、明朝の便でマニラに向かい、乗り換えて夜帰国です。

土山直純くん、このカガヤンデオロに僕を導いてくれ、素晴らしい戦いを見せてくれてありがとう!
 
浅野さん・松井さん、お二人とも、異国での生活は大変な事もあるかもしれませんが、健康にご留意され、ますますのご多幸があらん事を心より祈念しております。
この数日間、本当にお世話になりました。
心からのありがとう! 
 
そして、暖かく僕を受け入れてくれたフィリピンの皆さん、ありがとう!!!


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2007年02月20日

フィリピン日誌 2月20日

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昨日、ホテルを変えて、町の中心街のホテルに移動してきました。


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 昨日まで宿泊していたホテルは、一泊2,200ペソ(5,500円)のホテルでした。
裕福な人たちが集まる、リムケッカイというショッピングモールに隣接し、部屋でインターネットも接続できるという好環境でしたが、何かが起きそうなときめきが持てず、貧乏旅行が好きな僕の肌には合わないようでした。
仕事も一段落ついたので、どうしてもインターネットが必要なわけではなくなったという事もあり、町の中心街にある、1,000円のホテルに移動したんです。
このホテルを紹介してくれたのは、カガヤンデオロ セービア大学医学部学生の、松井さんです。
松井さんは、実に魅力的な経歴をお持ちになる方で、このカガヤンデオロで学生になる経緯もとても興味深いものです。
きちんとした了解を頂いていないので、詳細は書くことは差し控えさせて頂きます。
 
 
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写真では渡辺 徹 氏のような笑顔をふりまいているこのお方ですが、英語・韓国語・ビサイ語(この土地の言語)と使いこなします。

松井さんのご学友が、この『カーサ クリスタリア ホテル』のオーナーの娘さんということもあり、宿泊代の値引きもしてくれました。
 
松井さんのこれまでのことやフィリピンの事等を、ジョリビーというファーストフードで話し込んでしまいました。
(フィリピンでジョリビーは、マクドナルドを抜く人気のファーストフードです。)
仕事を終えた浅野さんも合流し、ビリヤードに行きました。


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それから、ココンというマーケットの屋台村で、焼き鳥をほおばり、朝早い松井さんは、ここでご帰宅になりました。
お腹がいっぱいになったところで、マッサージにGO!!
マッサージといっても、イヤラシいお店ではなくって、普通のマッサージです。
フィリピンでは、冷房が豪華な気持ちになるものと思われているのか、マッサージ店も寒い!
せっかく快方に向かっていた体調が、少し戻ったような気がしました。
浅野さんの車で、ディープなカガヤンデオロの町をまわってきました。


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今滞在しているこの部屋は、とても居心地が良いです。
朝も、窓の下を通る車の音で目が覚め、町の喧噪に包まれている不思議なときめきがあります。
窓の外の眺めも、生活感に溢れています。
今日も、松井さんとランチをご一緒させて頂きました。
 
 
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その後で、あてもなくジプニーに乗って適当な所で下りて、適当に乗り継ぎ、なんとなく揺られていると、ホテルの近くに戻ってきていました。

このカガヤンデオロに何人の日本人が住んでいるのかはわかりませんが、浅野さんと松井さんに出会えた事は、インターネットの恩恵です。
明後日の帰国まで、のんびりと過ごします。
 
 
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追伸:土山直純くんの試合の記事を、22日発売『週刊文春』で掲載して頂けることになりました。
ご覧頂けましたら幸いです。

2007年02月19日

フィリピン日誌 2月18日

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う〜ん、スイ〜ツッ!
 
 
 
と、意味不明な空元気を振り絞ってみました。
 旅に出ると、必ずと言っていいほど初日に風邪をひいてしまいます。
今回も、いつも通り、マニラで風邪をひいてしまいました。
こう見えても、意外と繊細なのです。  
土山君の試合記事を、某雑誌で掲載して頂けるかもしれないので、ひとまずその話は保留させて頂き、写真を盛りだくさんにカガヤン日誌を書きたいと思います。
 
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フィリピン カガヤンデオロは、思っていたよりも涼しいです。
日差しは強いのですが、空気はそれほど暑くなくて、大きな建物の中はガンガンに冷房をきかせていて、温かさを感じるのは、昼の太陽の下だけです。
そんな訳で、体調は快方に向かいません。
追い打ちをかけるかのように、写真データを日本にメールで送らなければならなかったのですが、日本のようなインターネット環境はカガヤンデオロに用意されておらず、1枚添付するのに15分という時間がかかってしまい、昨夜は朝まで添付三昧でした。

 昼に電話で目が覚めました。海に遊びに行こうとお誘いして下さるその声の主は、ミクシーのカガヤンデオロコミュニティーで知り合うことができた浅野さんでした。
浅野さんは、日本の会社のカガヤンデオロ工場に駐在していらっしゃって、この町の事にとてもお詳しい方です。土山君の応援にも来てくださいました。
浅野さんの車で、海辺にあるおいしいレストランや、海水浴場、カガヤンデオロを一望できる高台、等々に連れて行ってもらいました。
 
 
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途中から、浅野さんのお友達のフィリピン人女性が4人合流し、添付三昧ナイトから解き放たれた開放感から、
 
「よ〜し、今夜はいっぱいビール飲んでやるもんね!!」

と意気込んでいたら、日本から連絡があり、昨夜の添付三昧の結晶のほとんどがうまく送れていない事が発覚し、今夜再び、添付三昧な夜を堪能しております。


明日から、カガヤンデオロの町を、ぶらぶらと散策してみます。
 

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浅野さん、なにからなにまでありがとうございます!!
 
 


おまけ

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2007年02月17日

フィリピン日誌 2月17日

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土山直純くん、2ラウンドKO勝ちです!!
 
詳細は後日書きます。
 
カガヤンデオロまで来てよかったです!!

2007年02月16日

フィリピン日誌 2月15日

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空港から一歩足を踏み出すと、ねっとりとまとわりつくような南国の空気に包まれた。
フィリピンは初めて来る国だが、タイに似た匂いがする。
何故かしら僕の気持ちは弾んだ。
 
 

トラブルに巻き込まれる危険性の低いエアポートタクシーのドライバーに、予約していたホテルを告げた。
今回は、仕事としての渡航なので、ノートパソコンやカメラ機材があるため、一泊500円前後の安宿を探すことはせずに、あらかじめホテルを予約しておいた。
ホテルまでの道中、ドライバーは「なに人か?」「いつまでいる?」と、ひっきりなしに話しかけてくる。
明朝早くにカガヤンデオロに行くのだと言うと、朝にホテルまで迎えにきてくれると言うではないか。
流しのタクシーと比べると、金額は相当高額だが、暗い時間に空港まで流しのタクシーで行くのはリスクが高いと感じ、お願いすることにした。
いい仕事がとれたドライバーは、ますます饒舌になり、「カガヤンデオロに何をしに行く?」と聞いてきた。
「友人のボクサーが試合をするのだ。」と伝えると、マニー・パッキャオの話になり、パッキャオの人気の高さを感じた。

チェックインをすませ、お腹がすいていたので、近辺を散策しながら食事ができるところを探した。
見知らぬ土地に来ると、できるだけ歩くことにしている。
タクシーでは車窓に流れゆく風景も、歩くことで感じることがたくさんあるからだ。
マニラのパサイという地域は、バンコクに似た匂いがたちこめる。
排気ガスの匂い・小便の匂い・どぶの匂い・屋台で売られるフルーツのにおい、様々なにおいが混ざり、何故だか懐かしいようなときめきを感じてしまう。
大きな通りの中央分離帯では、子供たちが木にロープでくくりつけたタイヤをぶら下げて、ブランコのような遊びに熱中している。

ふらりとショッピングモールに入り、最上階の食堂街でシュウマイとご飯を食べた。
しばらく街をふらつく。
日も暮れると、街灯の少ない街ではコンビニエンスストアの灯りがひと際輝いて見える。
薄暗い街には、娼婦とおぼしき女たちが立っていて声をかけてくる。
いかがわしさを感じない街に、何の魅力も感じない。
人のにおいも、マニラには溢れかえっていそうだ。
残念だが、明朝5時10分のフライトでカガヤンデオロに行く。
もっとマニラを歩いて、街のにおいに身を投じていたい、そう思った。
 
いよいよ、明日は土山直純くんの試合だ。

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2007年02月14日

お知らせ

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2月15日から2月22日までフィリピンに取材に出かけます。
 
山口までご用の方は、Eメールにご連絡下さい。
lopez22@foto-finito.com
 
よろしくお願い致します。
 
 
               山口裕朗


 

diary 2月13日

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色々な現場に行けることが、写真撮りであることの楽しみの一つです。
 
 

昨年末から、動画撮影の現場で、スチール写真を撮影させて頂く機会が何度かありました。
 
ご一緒にお仕事をさせて頂いた制作会社の皆さんは、年齢もお若く、モデルの若い女の子達とも友達のように接し、和やかな空気の中で気持ち良く撮影出来ます。
 
ぴりぴりした空気の中での撮影も悪くはないのですが、楽しい現場っていいもんです。
 

2007年02月13日

diary 2月12日

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2007年02月09日

diary 2月9日

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ボクシングジムの先輩で、第31代OPBF(東洋太平洋)バンタム級チャンピオンの新田渉世さんが執筆された『リングが教室。』が届きました。
 
表紙に僕が撮影した写真を使用して頂き、編集の方が送本して下さいました。
 

   ポプラ社・新刊 2007年2月13日刊行

          新田渉世

        「リングが教室。」


         人間は変わる。
         挫折することで。
         克服することで。
         だから俺は今、
         君に伝えたい。
        「負け」に負けるな。

       

       ■■■企画概要■■■

日本初の国立大卒チャンプが開いた小さなボクシングジム。
そこに集う、プロ選手、練習生、トレーナー、そして自分自身。
皆なんらかの傷を負い、なんらかの後悔を噛み締めている。
でも、ボクシングは人を変える。負けることで、人は変わる。
       そう、「負け」に負けるな—
スポーツによる魂の再生を描く、感動のヒューマン・ドキュメント。

第一章 西禄朋(プロ選手)
〜トッポいけれど才能溢れるイケメンボクサーの初めての挫折。敗戦で姿を消して何処へ行くのか・・・?


第二章 慶伊孝亮(練習生)
〜いじめられっ子の過去と長続きしなかったジム通いの苦い経験。閉ざされた心が開いた瞬間とは・・・?


第三章 松島利也子(練習生)
〜タレントとしての<売り>のつもりで始めたボクシングが、いつの間にか自分の人生と重なってゆく・・・。


第四章 孫創基(トレーナー)
〜選手に裏切られても、コーチは裏切らない—民族の誇りと熱い心の底に、いつも「師」がいる・・・。


第五章 新田渉世(会長・第31代東洋太平洋バンタム級チャンピオン)
〜矢吹丈に憧れた少年が王座に。だが引退後の社会人生活は不完全燃焼の思いが募るばかりで・・・。

       ■■■著者紹介■■■

新田渉世(Shosei Nitta)1967年生まれ。神奈川県出身。87年、横浜国立大学2年の時にプロデビュー。96年10月に第31代OPBF(東洋太平洋)バンタム級王座を獲得し、「国立大卒初の王者」として話題となる。34戦23勝(17敗)9敗2分。引退後、家族を連れて米国サンフランシスコで1年間生活。帰国後、 3年間サラリーマンを経験。現在、川崎市にて「新田ボクシングジム」を主宰。東日本ボクシング協会理事。

 

 
 新田さんは、僕が16歳でジムに入門した時には、すでに日本ランキングボクサーで、ジムの看板選手でした。
 
プロになり、スパーリングの相手をさせてもらえるようになると、ロッカールームでアドバイスをくれたり、リングに上がるという事がどういう事なのかをその背中から学ばせてくれました。

僕が現役ボクサーだった頃、引退してサンフランシスコに住んでいらした新田さんから試合の当日に届いたファックスにはこう記されてありました。
 
 


「海の向こうでも君を応援しています。
 大人の男として戦って下さい。
 いつまでも君の先輩です。」


 
 
この一枚のファックス紙は、今でも大切にしています。
 
 

届いた本を一気に読了しました。
選手に向ける新田さんのあたたかな視線に胸がグッとしめつけられました。 
  
 

2月13日発刊です。
是非 ご一読頂けたら幸いです。 
 
 
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新田ボクシングジムオフィシャルサイト
http://www.nittagym.com/
 

2007年02月06日

diary2月6日

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人との出会いに、不思議な縁を感ぜずにはいられません。

それは、僕がまだ現役ボクサーの頃でした。
 

 当時の僕は、A級トーナメントの1回戦で、後の日本チャンピオン キンジ天野くんに敗れ、3連敗を喫していました。
初めて『こいつは強い』と感じさせられた欽二くんに喫した敗戦は、大きな傷となり、僕の心に深く突き刺さっていました。 

 詳しくは「私とボクシングvo.1」に書きましたが、その敗戦からボクサーとしての自信を失ったぼくは、鹿児島から東京まで自転車の旅に出ました。
 
その旅に出るまでジムに行く気もおきず、しばらくの間東京でもやもやとした時間をただいたずらに過ごしていました。
その日も、下北沢でバーを営んでいらしたジムの先輩で元日本ジュニアフライ級チャンピオンの田中正人さんのお店に行って、優しい先輩に話を聞いてもらっていました。
小さなカウンターだけのお店で、隅っこにいた男性から、
 
「山口選手ですよね?」
  
と声をかけられました。
 
声の主は、船橋真二郎と名乗りました。
 
自分の進退の事で頭がいっぱいだった当時の僕には曖昧な記憶しか残っていないのですが、僕とキンジくんの試合の話をしたような記憶が残っています。
 
それから2年経ち、ボクシングを引退して写真の道に進みはじめた僕は、その日も田中さんのお店でお酒を呑んでいました。
 
すると、船橋さんが先客でいらして、言葉をかわしました。

当時、ジムの先輩で元東洋太平洋バンタム級チャンピオンの新田渉世さんにお誘い頂いた、Talk is cheapというサイトに参加させて頂いていました。

船橋さんは、文章をお書きになるそうで、Talk is cheapに書かせてもらえないかということで、当時編集をされていた菊坂尚冬さんに紹介し、船橋さんもTalk is cheapに参加する事になりました。
 

船橋さんの『彼らの肖像』で写真を提供する事が増え、いつのまにか、歳も1つ違いの船橋さんとは、次第に友人としてつきあうようになっていました。

今では、sports naviで一緒に仕事をしたり、お酒を呑みに行ったりと、気がつけば6年の付き合いになります。
 
彼の書く文章は、整然としているようでいて、感情的な温もりを感じさせるもので、とても素晴らしい文章です。 
 

そんな船橋さんと今夜も2人でお酒を呑んできました。

呑み屋さんのカウンターで知り合った人と、こうして友人として付き合っている、不思議な縁はどこに転がっているかわからないものです。
 


 
(以外と船橋さんの写真がないもので、こんな写真を出してしまってごめんね)
 

Talk os cheap 船橋真二郎『彼らの肖像』
http://www.tic-box.com/doc-funa/funa-index.html
 
 

水道管の中のオルフェウス Vol.6

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サウンドトラックを担当して頂く方々と打ち合わせをしました。
 

昨年秋に公開するといっていた『水道管の中のオルフェウス』ですが、僕のいたらなさから延び延びになってしまい、サントラをお願いしていたthis timeと三田邦彦さんに再びお話をさせて頂くというのは、僕なりに小さな勇気を必要とする事でした。
 
お会いした皆さんは、こんな僕にもお力を貸して頂下さるとおしゃって下さり、どうやって音と映像を創っていくのかを現実的に考える事が出来ました。
 
春には公開したいと考えています。
 
 
 
This time
http://www.thistime.jp/

This timeのサイトで、ライブの写真等撮らせて頂いておりますので、よろしかったらそちらもご覧くださいませ。

diary2月5日

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このところ乗り物のトラブル・アクシデントに立て続けに見舞われています。

 
 今日の撮影帰りに写真屋さんに寄り、30分くらい経ってから荷台にカメラバックを積むと、後輪がパンクしていました。
僕の乗っているベスパと言うバイクには、スペアタイアが搭載されているので、タイヤを交換してバイク屋さんに行きました。
その途中、ウィンカーが気まぐれについたりつかなかったりとなってしまいました。
数日前に、フロントフェンダーをこすってしまい、パテで埋めるのに一苦労したり、プラグがかぶってしまい、撮影にぎりぎりまにあったりと、いくらトラブルが少なくないベスパとはいえ、重なるものです・・・。
極めつけは、車の車庫入れでドアを電柱に当ててしまい、ボッコリとへこましてしまった事です。
ありゃりゃ、2日がかりで撮影した仕事のギャラは相殺です。

と、沈みがちな今日この頃ですが、こんな時こそプラスに考えたいものです。
大きな事故に見舞われずに、悪い運気を小出しにしておいてよかったなと考えています。
 
ベスパのクセやタイヤ交換をバイク屋さんに教えてもらいながら、実際に体験することで、覚えることが出来たんです。
 
 

「痛みをともなう経験を繰り返していくなかで身につけた行為というのが、その人の技術であります。」

 
と、敬愛する植村直己さんもおっしゃっています。
 
 
写真屋さんの前で、後輪を交換していると、

 「節分に豆まいた?」 
 
と、お世話になっている写真屋さんは、いたずらな笑みを浮かべながらおっしゃいました。

ふと思えば、もう20年近く豆まきをしていないな・・・
 
明日にでも、豆をまいて鬼を追い出してやろうかな。
 
 
 
植村直己さん
http://www2.nkansai.ne.jp/uemura/
 

2007年02月02日

diary 2月1日

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        ふかづめ・・・
 
 
 

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Profile

山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
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