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放熱の破片 番外編 鮎川圭祐

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対戦相手の死を乗り越える事が出来る人間はどれだけいるのだろうか・・・。 

 

talk is cheap「戦士と語る」で、元日本スーパーバンタム級(55.3kg)2位の鮎川圭祐さんを取材させて頂きました。
 

戦士と語る12月号 
http://www.tic-box.com/doc-nitta/nitta-index.html
 
 「戦士と語る」本文にもありますが、鮎川さんは営業マンとしてご多忙の日々を送られています。
いつもでしたら、新田さんと2人で取材に出かけるのですが、今回は鮎川さんのご都合で取材日が何度か変更し、締め切りまでに3人のスケジュールが合う日がなく、撮影には後日僕が一人で伺いました。
 
京王線の駅で、2週間前の夜に待ち合わせしました。
鮎川さんと、言葉を交わすのはほとんど初めてでしたが、彼の現役の頃の写真を何枚か撮らせて頂いたことがあります。

その日、後楽園には知人の写真を撮りに行っていました。
その控室に、試合を終えたばかりの鮎川さんが入ってきて、ベンチに腰掛けタオルで顔を覆いうなだれたんです。
ノックアウトで敗れた直後だったんですね。
 
写真を撮るという行為は、ひどく暴力的なことだと自覚しているので、コミュニュケーションがとれていない人にレンズは向けないようにしているのですが、その姿からにじみ出るボクシング臭に思わずレンズを向けてしまいました。
 
その後で、彼の顔を撮りたくなり、声をかけて撮らせて頂きました。
このポートレートは、写真展や雑誌で何度か使用させてもらっていたのですが、彼の所属していたジムの方からは了解を頂いていたのですが、本人と話をすることがありませんでした。
 

  
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 ふっくらとしてしていましたが、改札を出てくる鮎川さんのお顔はすぐにわかりました。
色々と話したいと思っていたので、駅前の立ち呑み屋にお誘いし、ジョッキを傾けました。
 
「戦士と語る」本文にもありますように、鮎川さんは勝ちも負けもKOでの決着が多い激闘ファイターでした。
そして、対戦相手が、試合後に亡くなってしまうという事故にあってしまうんですね。
 

僕のボクサー時代のアルバイト先に、僕とは違うジムのA級ボクサーがいました。
人間的にも穏やかで優しくて、僕の大好きな先輩でした。
その人が、試合後に脳内出血で倒れ、意識を無くしてしまいました。
9年間ベッドの上で生命は維持し続けましたが、昨年 ご逝去されました。
家族は彼の世話をする為に大変なご苦労をされたと思います。

身近な人が事故に遭うのを見て、ダラダラとボクシングを続けることだけはしまいと心に誓い、人を殴る恐ろしさも引き受けなければリングには立てないのだと、明確に感じました。
 
 
ボクシングは死ぬ危険もあるのだと頭ではわかっていますが、そうした事故に直面してしまった鮎川さんの苦しみは、どれほどのものだったのだろうか・・・。
  
 
 

 先月、お子さんが誕生されたそうで、その話になると口元を緩め、携帯電話でお子さんの写真を見せてくれました。

ボクサーとしては、背負ってしまったものを押しのけることは出来なかったのかもしれませんが、そんな『正常』な感覚を持つ鮎川さんが、家庭を育むことに専心されるお姿をみて、なにかホッとするものを感じました。
 
 
 
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Profile

山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
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