浜口京子 vol.1
「浜口京子選手を撮りたい」
僕の中にそんな気持ちが芽生えたのは、2002年の春だった。
2001年、僕は、写真学校を卒業し、勤めたスタジオにどうしようもない居心地の悪さを感じ10日間で退社し途方にくれていた。
写真学校の頃に勤めていた会社で再びアルバイトを始め、これからの事を考え、どうにもなりゆかない自分に歯噛みし、悶々とした毎日を送っていた。
その頃の浜口京子さんは、世界選手権を3連覇したあと、2000年は3位、2001年は4位と低迷していた。
そんな選手がどうやって這い上がってくるのかを撮りたかった。
その這い上がる姿に、当時の自分を重ね合わせたかったのだ。
その知名度からも、京子さんの取材は困難かと思ったが、自分の状況と、前述した理由を汚い字で長々と並べ、浜口さんにFAXで送った。
自分で営業して知ってもらわなければ先には進めないと腹をくくり、生まれて初めて持ち込み営業に行った出版社で「2ページやりましょう」と拾ってもらい、私の写真家としてのデビューとなった「サンデー毎日」も浜口さんに送った。
それからしばらくして、電話が鳴った。
シャキシャキとした気持ちのよい語り口、下町のおかみさんと言う言葉がピッタリと当てはまるその声色、浜口さんの奥さんからの電話だった。
僕の気持ちを電話で伝えると、快く撮影のお許しを頂けた。
考えてみれば、どこの馬の骨ともわからない写真家が、突然撮らせてくれという、そんな図々しい申し出を受け入れて下さった浜口家の皆様の懐の深さには、感謝の言葉も無い。
初めて浅草の浜口ジムで京子さんとお会いした時の彼女の礼儀正しさと、気配りにいたく感激したことは今でも生々しく脳裏に焼き付いている。
そうして浜口家の皆様とのおつき合いが始まり、僕の中で、大きな車輪が動き始めた気がした。
浜口京子のページ
http://www.saturn.dti.ne.jp/~lewis/kyoko/kyoko1.htm