私と写真 Vol.1
99年2月、私はラストファイトを闘い、使い古したバンデージを、そっとゴミ箱へ捨てた。
16の頃から、私にとっての全てであったボクサーとしての自分に終止符をうち、それから2ヵ月もすると、渋谷にある写真専門学校に通いはじめていた。
学校に通いはじめると、露出という言葉の意味もわからぬくせに、所属していたジムや後楽園ホールに通い、つい数カ月前まで一緒に汗を流していた仲間達を撮りはじめていた。今となってみれば、そうして撮り続けてきた事が、現在、ボクシングと私を繋ぐかけ橋となっている。
昼はプロラボでアルバイトをし、学校へは夜間で通った。
ほとんどのクラスメート達は、25になろうとしていた私よりも若く、蒼臭く映った。
ボクサーとして、一つの人生を全うしたと自認していた私の奢りもあったのだろうが、教室ではしゃぐ彼らに、自分の向かうべき道を進もうという強い意志を持った者や、持て余したエネルギーのはけ口を見つけだそうといった者は、ほとんど見つけることが出来なかった。
ただ、授業で教わる事が新鮮であった事と、素敵な先生達に出会えた事が救いだった。
写真家 鈴木邦弘先生の授業が一番の楽しみであり、苦しみでもあった。
ソマリア内戦で流出した難民達が居住するジブチキャンプ、アフリカの先住民族ピグミー族。
硬派なドキュメンタリーを撮る鈴木先生の大きな体から響かせる言葉には、圧倒的な説得力があった。
「音楽を聞かないミュージシャンはいない、本を読まない小説家もいない、写真家だって色々な写真集をみるんだ。その一冊の写真集が、後でヒントになって助けてくれるんだ。」
850円の時給で働き、機材やフィルムを買えば貯えていたファイトマネーも底をついていたが、最低でもひと月に1冊は写真集を買う事を自分に誓い、それは今も続いている。
そんな中で先生に見せて頂いたセバスチャン・サルガドの『WORKERS』には、息が詰まる程の衝撃に打ちのめされた。
悲惨な状況下におかれる人達をも美しい絵として写真にしてしまうサルガドに危うさすらおぼえた。
美しく、力のある写真が収められていた。
サルガド体験が契機となり、モノクロ写真に魅了された。
鈴木先生の授業で出された課題は、『形』『色』『空間』等にはじまり、2年になると、『光景』『都市の風景』『それぞれの原風景』『窓』『ストリート』『In transit』『時間』『犬の視線』『生きられた家』『家族』『動物園』『私』『人々』『東京』『マイノリティー』のテーマの中から1つ選び、撮った写真を先生と話しながら展開を考えていくというものだった。どのテーマも解釈次第で無限に被写体はあり、方法もある。日々、写真の事で頭がいっぱいだった。
当初は自分の「恋」を写し、『私』として表現したいと思っていたのだが、諸事情によりかなわぬ思いとなってしまった。
『私』・・・
汗臭いグローブに顔をそっと押し当て、何者かに祈るように緊張感を高める姿。
リングへ向かう通路のひんやりとした空気に身震いしている姿。
もつれる足で必死にファイティングポーズをとる姿。
ダウンした相手を見下ろし雄叫びをあげる姿。
医務室でまぶたの傷を縫われながら涙を流す姿・・・。
これまで撮ってきたボクサー達の姿は、まさしく『私』だったのだ。
<つづく>