diary10月9日
先日、一枚のハガキが届きました。
ハガキの差出人とは、互いに将来の希望をかけてリングで戦った仲です。
彼との試合からもう12年がたちました。
写真学校入学から1年が過ぎた夏の日、ジムメートだった仲間の試合を撮りに後楽園へ行きました。
入口でパンフレットを受け取り、対戦カードをめくると、ジムメートの名前に並ぶ、彼の名前を見つけた時は目を疑いました。
「まだやっていたのか・・・。」
控室のあるフロアに行き、彼の名前が黒板に書かれた部屋が、ジムメートの部屋と違う事にホッとしました。
顔を合わせた時、彼になんと声をかけたら良いのか、迷っていたからです。
自分に勝っていった男達には、僕がさばさばした態度で声をかければ相手も負担に感じないのでしょうが、僕は彼の希望を摘み取り、自分が這い上がる事だけを考えていたのです。
僕との一戦は、彼にとって遠回りであっても、近道であった訳がありません。
そんな迷いと同時に、彼を撮りたい気持ちがこみ上げてくる自分に気づいていました。
意を決し、彼の控室のドアを開けると、狭苦しい控室の隅で、パイプ椅子に座る彼と目があいました。
カメラをぶら下げた男の姿を目に止めた彼は、何者か最初はわからないようでしたが、6年も昔に殴り合った男だと気づくと、
「おーっ。」
と驚きの声をあげました。
「今、写真の勉強してるんだけど、撮らせてもらってもいいかな?」
それが、彼との再会です。
昔は気がつきませんでしたが、印象的な目をした男だなと初めて気がつきました。
その目は、その日のフィルムをプリントしている暗室で蘇ってきました。
彼はその後も何戦か戦いましたが、2001年にリングを去りました。
その彼が、仏像を修復する仕事に就くと聞いたのは、後輩の応援に来ていた彼と、後楽園ホールでばったり顔を合わせた時でした。
カルチャーセンターで開かれていた教室に通っていたら、先生にスカウトされ、やってみることにしたというのです。
毎年届く年賀状の毛筆が達筆だとは思っていましたが、 これまで、仏像修復とはおよそ縁のない仕事をしていた彼にそんな才能があったなんて思いもよりませんでした。
そんな彼から昨年の春先に電話がかかってきました。
事情によって、今いる工房を離れることになったと言います。
そして、
「自分が彫った仏像の写真を送ってほしいと言ってくれる工房があるんだけど、撮ってもらえないかな。」
と言うのです。
少しでも彼の力になれるかもしれない事が嬉しくて引き受けさせてもらいました。
千葉の家から杉並の私の部屋まで来てもらい、彼の彫った愛染明王(あいぜんみょうおう)を撮らせてもらいました。
恐い顔をした明王さんを撮っているのですが、彼という人間のような、丸い優しさを持っているように感じました。
そして、数日後に滋賀の工房で仕事が決まったと連絡がありました。
以前に彼を一緒に取材したライターの船橋真二郎さん達と壮行会を開き、彼は彼女を伴って来てくれました。
彼女は、ハンドメイドの財布を代官山のOKURAというお店においてもらっているそうです。
彼女が作ったヘビ皮のあしらってある財布を彼も使っていて、タイで手に入れた『wrangler』と書かれたいんちき臭い財布と決別したいと常々思っていたものですから、その財布を持ってきてもらいました。
あまり物に頓着しない方ですが、大切にしています。
6月に大阪に撮影に行った時に、滋賀にある2人の住まいに泊めてもらいました。
「京都が近いから色々な仏像が見れる」 と話す彼の目は生き生きとしていました。
彼女も織物の勉強を始めたそうです。
そんな彼等が結婚したというハガキでした。
素晴らしい写真です。
Talk Is Cheap2003年9月号『彼らの肖像』(船橋真二郎)
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