放熱の破片 vol.33
グラビアアイドルと呼ばれる女性と、10年の歳月を経てボクシングに帰ってきた男がリングに立った夜。
2008年11月11日、後楽園ホールのリングにメインイベンターとして生田真敬くん(ワタナベ)が上がるので、生田くんの写真を撮りに行きました。
前座には、僕のボクサー時代の先輩 新田渉世さんの新田ジムから選手が出場していたので、彼らの写真も撮影させてもらったんです。
デビュー戦を迎えた松島利也子さんは、タレント活動の“売り“としてボクシングをはじめたそうです。
今年5月、後楽園でのエキシビジョンに登場した時に初めて松島さんのボクシングを見たのですが、そのぎこちない動きは、けっして運動神経が良いとはいえないように感じました。
それが、プロボクサーとしてリングに立つ事になった。
ライセンスを取得しただけは“売り”として弱く、試合をしないと“売り”にはならないのかもしれませんが、試合は顔面を殴られるという前提が確実にある訳で、覚悟を持ってリングに上がったという事です。
当初の目的が、真剣にボクシングに取り組むうちに少しずつ変化していったのではないでしょうか。
リングに上がるまで、青コーナーの選手が出番を待つ薄暗い階段に佇む彼女の表情には、緊張と恐怖心が張り付いていましたが、その眼差しには覚悟を決めた力強さを感じました。
試合がはじまると、ほぼ一方的な展開になり、2ラウンドTKOに散りました。
敗れましたが、立派な戦いっぷりでした。
試合後、沢山の記者さんやカメラに囲まれての会見を終えて、控室に戻る途中、通路で知人と会うと、こらえてきた涙が彼女の頬を伝いました。
今のままではまだまだ力不足の感は否めない。
もっともっともっと強くなって、リングに戻ってきてほしい。
帰ってきた男、柳 直大さん(当時:オークラジム)は、1998年9月のA級トーナメント準決勝で敗退し、ボクシングを離れました。
それが、今年の7月28日に新田ジム所属のボクサーとして、再びリングに上がり、10年ぶりの試合に臨みましたが、判定負けでした。
試合後の控室通路で、新田ジム トレーナーの孫くんから、
「やまちゃん、昔 木谷さんと試合した柳だよ。 やなぎ なおひろ。」
と言われ、その名前に聞き覚えがある事に気がつきました。
1998年3月27日、僕のジムメイトの木谷卓也が柳直大と対戦したリングは、僕が日本ランカーの康哲虎(カンチョルホ)(千里馬神戸)さんに倒された夜だったので、その名前はおぼろげながら覚えていました。
試合前、柳さんの発する静かな空気が絵になると感じ、レンズを向けさせて頂きました。
試合は、次第に正面からの打ち合いになり、判定で勝利し、実に11年ぶりに勝利を味わいました。
控室で、ボクシングに帰ってきたお話を少しだけきかせてもらいました。
22歳でボクシングを辞めてからアメリカに渡り、ニューヨークのお寿司屋さんで働きながら、次第にボクシングへの興味がわき始めた事もあって、ジムでトレーナーとして活動をし始めたそうです。
そして、書店で手に取ったボクシングの本で新田さんの事を知り、この人の所でもう一度やりたいと思い、8年半のアメリカ滞在を終えて帰国しました。
隣でトレーナーの孫くんが、
「柳は本当にすごいよ。 本当にすごいよ。」
と潤んだ目で口にすると、
「孫さん、会長、皆が・・・」
柳さんは目をタオルで被いました。
「やり通してないまま辞めて、次の人生で自信持てなくて、何をやってもうまくいかなかった。」
今は、ジムの近所に住み、近くのパチンコ屋さんで働き、ボクシングの為の生活を送っているそうです。
32歳という年齢、チャンピオンにならなければ4年後にプロボクサーの定年で引退する時がきます。
その後の人生を考えれば焦りを感じるかもしれない。
やり通した実感を持てずに辞めれば、何をやってもうまくいかないと感じ、再びリングに上がる道を選んだ柳さん。
また写真を撮らせて下さい。
メインイベントに登場した生田くんは、タイ人選手を相手と頭をつけて近距離で打ち合い、見事5ラウンドにKO勝ち。
適当な所で手をついてしまうタイ人ボクサーが少なくない中、この日の選手は勝ちたい気持ちを強く持った選手だと、その戦いぶりからわかりましたが、その相手に打ち勝ち、チャンスを逃さなかった生田くんは流石です。
日本ランキングボクサーとの対戦が待ち遠しい選手です。