さようなら 加藤一也さん
ボクが高校を卒業し、プロボクサーとして活動をするにあたって生活収入を作り出す為に選んだ仕事は、窓ガラス清掃でした。
その会社は、割と出勤スケジュールに融通がきくこともあって、ミュージシャンや役者さんやボクの様なプロボクサーといったタイプの人が多かったように思います。
舞台役者をしている加藤一也さんはその会社の先輩でした。
当時30歳を少し過ぎた加藤さんは、ボクから見れば全くの大人で、いつも穏やかな微笑みを浮かべていて、ボクの様な世間知らずのガキにも優しく接してくれました。
ご自身で『劇団13号地』を主宰し、公演が決まると職場の仲間と観に行きました。
当時はエンターテイメントしか理解しようとしていなかった僕に、加藤さんの作る舞台はよくわかりませんでしたが、鬼の様な形相をし、声を張り上げる加藤さんに圧倒的な存在感があった事は感じていました。
その清掃会社にはボクシングを引退するまでの約6年間在籍しましたが、写真学校に入るにあたり、現像所でアルバイトする事に決め、それからしばらく加藤さんとは連絡がありませんでした。
何年か経ち、加藤さんからお電話を頂き、公演の撮影を依頼して頂きました。
写真を撮りながら、
『普段は穏やかな加藤さんが、どうして舞台に立つとこうも変われるんだろう・・・。
絵になる人だな。』
そんな事を考えていました。
その後も公演を観にいったり、何度か街で偶然出会ったり、不思議なご縁は感じていましたが、今年の夏に『蝉の穴』という公演が決まり、その宣伝用の撮影をご依頼頂いたのです。
3月に劇団13号地の稽古場で撮影をさせて頂いたのですが、出演者4人での撮影後、宣材写真等で使ってもらえる機会があるかもしれないので、一人一人の写真も撮影させて頂きました。
撮影後にお鍋をご馳走になったのですが、時々苦しそうに咳をして、体調があまり良くないようでした。
8月の公演を観に行き、いつもの『役者 加藤一也』がそこにいました。
体調も回復したのだと思っていました。
そして、10月に入ったある日、加藤さんの奥様で13号地の役者さんでもある成行さんから留守番電話が入っていました。
加藤さんが9月に亡くなり、そのお別れ会を11月6日に行うという内容でした。
帰宅してから13号地のホームページを見ると、
『13号地主宰・作・演出・役者の加藤一也が9月11日15時3分逝去しました。 』
とありました。
それでもまだ信じたくなくて、大変失礼とは思いながらも、成行さんにはご連絡差し上げませんでした。
そして、11月6日に13号地の稽古場に行くと、そこには3月に撮影させて頂いた、加藤さんの写真が遺影として飾られていました。
加藤さんが本当に亡くなったと初めて実感しました。
加藤さんの優しさに、何度も助けて頂いた事が思い出されます。
もう、咳で苦しい思いもしなくてよくなりましたね。
ゆっくりお休みになって下さい。