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diary12月31日

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   仕事 
 

この 心打瞬撮 Heart Beat Photographを作って下さった、webデザイナーの横田 茂さんのブログを覗いてみました。
 
それを読み、自分の仕事について振り返ってみました。
 
 
SHIGERU YOKOTA Afterhours
http://www.rocketshiptomos.com/blog/
 
 

 僕は24歳で写真学校に入学しました。
学校に通っている間、現像所で1年間アルバイトをし、経済的な事情で、窓ガラス清掃の仕事に転職しました。ボクサーだった5年間、やっていた仕事でした。
その会社で横田茂さんと出会いました。

26歳で卒業し、レンタルスタジオに就職しましたが、10日間でドロップアウトしました。

そして、再び窓ガラス清掃の仕事に戻り、アルバイトをしながら、自分の作品ファイルを持って、出版社等に営業にまわりました。

写真の道に進んだ時の年齢が、スタートをきるにしては若い訳ではなかったので、自分の中での目標を、『30歳までに写真を生業にする』としていました。
 
そして、2004年の秋に窓ガラス清掃の会社を退社しました。2年前のことです。
少しずつ写真の仕事を頂けるようになってきましたが、生活を成立させるにはとても不安定な状態でした。
そんな状態で退社を決断したのは、僕が退社する1ヶ月前に横田さんが退社されたことが大きなきっかけだったと思います。
 
30歳と3ヶ月でした。
 

不安だらけの航海でしたが、周囲の皆様のおかげとしか言いようのない程の人間関係に恵まれ、写真を生業とする事が出来るようになりました。
 
 
 
 写真行為は、楽しみもあれば苦しみもあります。
そんな様々な葛藤が僕を魅了してくれます。
 
 
2006年は、Photo cinema『水道管の中のオルフェウス』の制作にもたついてしまいましたが、素敵な一年に出来ました。
 
 
今夏に開設してから、このサイトをご覧頂いた皆様、お世話になった皆様、そして、横田さん、本当にありがとうございました。
 
よいお年をお迎え下さい。
 
 
 
                                   山口裕朗
 

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Profile

山口裕朗(やまぐちひろあき)
1999年プロボクサーとして17戦10勝(6KO)7敗の戦績を残し引退後、2002年 「サンデー毎日」で写真家としてデビュー。
2005年 ボクシング引退後、撮り続けている、かつての対戦 相手達の写真を、写真展『放熱の破片(かけら)』で発表。
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